"everything"
1.水に還る
 諒は、その一日の大半を寝て過ごす。睡眠には勿論の事、ぼーっとしているうちに夜になってしまう。昼過ぎにのろのろと起き出して、学校にいかなきゃなあ、と思っているうちに、だ。
紫が文句のひとつでも言えば少しは真面目に学校にも行くだろうに、当の紫はそういった事に関しては一切触れない。
 眼が醒めると陽は既に傾いていて烏の鳴き声が何処か遠くに聞こえた。
陽の当たる、マンションの窓のエアコンの下。そこが諒の寝床となる。まだぼんやりとしている頭を起こして、少し伸びた、茶色よりも金色に近い髪をかきあげる。脱色して傷んだ、夕陽に透ける髪の毛。荒々しく毛布をめくり上げながら、諒はぼんやりと思う。
昼の太陽よりも夕陽の方が大きく見えるのは何故だろう――?
傾く光に眼を閉ざして、そのまま体を横に倒し、仰向けになると一気に全身が倦怠くなる。
日一日がこんなにも短く、穏やかに過ぎる事――そんな事少し前には思いもしなかった事だ――、とは裏腹に絶えず休まず流れる自分の血。
もう少しだけ、こうして居たい――。
気だるい頭の憂鬱感を夕陽に照らし、諒は視点を虚空に浮かせる。
この誰も諒を傷付けない領域で。
諒はまだ醒め切らない頭でだらりと体を横にしている時が一番好きだ。
その瞬間、秩序を破るかのような電話のベル音が鳴り響く。紫さんだ、と諒は瞬時に確信する。少なくとも諒がこのマンションに住みついておよそ半年、その見当は外れた例が無い。
今日は何だろう、諒はどんより重くなった瞼を閉じたり開いたりしていると、ベル音は止んだ。電話の内容は出なくても判りきっている。今日は遅くなるから、か、或いはもう帰るから、のどちらかでどちらにしても必ず帰る旨を伝えてくれるのだ。
電話のベルの後、また再び静まりかえる様な静寂が拡がって諒は眼を閉じた。
諒が紫のマンションに住んで半年、紫はこういった電話を毎日掛ける。必ず帰る事を伝える為だけに。事実、半年のあいだ紫がマンションに帰らなかった日は唯の一度も無かった。
 体を起こしてもまだ眠く、醒めない頭を振りながら諒はふらふらと冷蔵庫の方へと向かう。2リットルのペットボトルを取り出し、コップに少しだけ注ぐ。冷たい烏龍茶。
ラッパ飲みは駄目よ、細菌の繁殖になるんだから――。
いつだったか、紫はそう言った。訳の判らない事に厳しくなるのが紫の特徴だった。
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