胸が締め付けられるほど「好き」


 あれほど想いを込めて我が者にしようとした汚れた俺を、愛子はきちんと拒否し、何事もなかったかのように同じ家で暮らし続けてくれている。

 それが家族という物なんだと、まるで同意を求めるように。

 女として見ないでとあしらうように、今日もパジャマというだらしないスタイルでリビングのソファにボサボサの頭のまま寝そべっている。

 最近は論文の宿題があるとかで休みの日も帰宅してからもその一枚の紙を睨んでは溜息をつく繰り返しだが、それと同時に信じがたいような笑顔で話をするようにもなった。

「この論文がうまくいったら、上司が食事に連れてってくれるの」

 あぁ、そんな仲の男が会社にいたんだ。

 そしてそれを、俺に分からせることにしたんだろう。

 愛子はしきりにその男の話をするようになった。社内での人気や仕事の出来ぶり、ライバルの女が退職した話や、野原君から寄せられる好意には応えられない話。

 更に、論文を俺の担当編集者に推敲してもらいたい話。

 俺は、ただぼんやり聞きながら相槌を打つにすぎなかった中で、論文の手伝いはしてやろうと素直に思った。

 何故なら、単純にどの方向から見ても、その男が愛子を好きだとは思えなかったからだ。

 例え論文で賞をとったとしたってその男とはただの食事で終わることは目に見えていた。その上、野原君の気持ちを蹴るのなら、一度で話が済む。

 それに、漫画家の編集に経営学の論文を読ませたところで、大した推敲などできやしない。

 誤字脱字を指摘するのが精一杯だろう。

 つまりは、編集に論文を読ませるだけで、愛子は俺を見直すわけだ。同時に上司への夢を膨らませ、野原君と疎遠になり、やがて……敗れ1人残るだろう。

 あの夜、拒まれてからというもの、愛子に対しての気持ちを冷静に受け止められるようになった。

 一緒に住んでいるからといってただ慣れ合ってあるだけでは、結局何も得られずに終わってしまうということを学んだのだ。

 本気で欲しいのなら、苦しくてもそれを乗り越え、冷静に判断し、狡猾に対処しなければならない。タイミングを見計らい、戦略を立て、相手の行動を読まなければならない。

 それが出来た奴にだけ、想い人を得ることができる。

 人の心を動かせることができるに違いなく、勝者になることができるのだ。

 俺はもう手加減はしない。

 この苦い思いから脱却し、必ず愛子を手中に収め、腕の中で抱きしめてやる。
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