四竜帝の大陸【赤の大陸編】
「……狭い浴槽、だな」

 旦那はそう言いながら、俺の頭から手を離すと。

「……」

 淡い若草色をした唐草模様のタイルが敷き詰められた床に立ち、動きを止めた。
 風呂に入ると言っていきながら、自分で服を脱ぐ素振りすらない。

「……青の城みたい広いのが良かったですか? こっちじゃこういったのが普通なんですよ? でもねぇ、狭いからこそのお楽しみもあるわけですし……いい本有りますから、参考に貸しましょうか?」
「……」

 あらま、エロ話にものってこないでスルーっすか……。

「旦那は泡風呂好きっすか?」
「……」

 返事は無い。
 俺は陶器製の白いバスタブへと湯を溜めつつ、入浴剤や化粧品が置かれた飾り棚から小瓶を一つ選び、手に取った。
 あんたが好きだろうが嫌いだろうが、泡風呂決定だっつーの!
 自分より良い身体だろうが、男の裸なんか見たくねぇし。

「この入浴剤、城にある工房で作ってるんすよ? 他大陸への輸出も本格的に始めたらしくて……」

 俺が選んだのは、ベリー系の香りのものだ。
 これは女子や子供に人気の商品であって、成人男子が使用するにはちょっと遠慮したいほど甘~い香りなうえ、泡の色が可愛らしいピンクをしている。
 ふっ……こんなささやかな嫌がらせくらい許されるっすよね!

「母さんは商売のセンスがあんまねぇみたいでね、青の陛下がいろいろアドバイスしてくれたみたいです。金儲けのことなら、やっぱ青の陛下が一番っすよね? まぁ、ほかの点は難有りの甘ちゃんな坊ちゃん竜帝陛下ですけど」

 鼻の奥まで絡むような甘い香りが満ちてピンクの泡が現れても、旦那の顔に変化は無かった。
 あー、うん、この程度のことじゃこの人は反応しないっつーか、気にしないって分かってはいたんだけどねぇ~……。

「ったく、ほら、さっさ入ってくださいって!」

 動かない旦那の体から俺はレカサを斬り取り、背を押した。
 そう、脱がしたんじゃない。
 刀で斬った。
 いちいち手足をどうこうしろなんてのは、面倒っていうかぞっとするんで無理っす。

「……」

 意外にも大人しく、旦那はバスタブに自分から入り……ピンクの泡が、バスタブから溢れ出す。
 旦那の眼が溢れ出た泡を追うように、微かに動く。

「ったく……姫さんに洗ってもらえばいいのに。あんたら、いつも風呂は一緒だったでしょ? ……どうしてだんまりなんです? 姫さんに会う前のあんたみたいだ」
「……」

 以前のこの人は。
 いくら話しかけたって、喋る気にならなければ何時間でも何日でも一言も口をきかないなんてことは当たり前だった。 

「……りこには」

 けど、今は違う。
 だから、この人は喋る。

「見せたくない、のだ……」
「何でです? もう、綺麗に治ってますよ?」

 見せたくないと言うが、上半身には傷痕ひとつ無い。
 元通りの、滑らかな肌だ。

「……見て、ほしくないのだ」

 見て欲しくない?

「旦那、なんでそんなこと……」

 旦那は両手でピンクの泡を掬い取り、自分の顔に押し付け。

「ダルフェよ。何故、我の“心”は」

 ゆっくりと、その手を顔から離し。
 黄金を熔かして固めたような瞳が傍らに立つ俺を見上げ、言った。

「我の血に涙するりこを見て、悦ぶのだ? 悲しませ、泣かせて…………満足し、安堵するのだ?」

 そこには、感情の色など一切無く。
 不透明なその瞳の奥にあるものを、俺が推量ることなど出来ないけれど。

「…………俺的には、それが普通っすよ?」

 喋って、くれるから。
 昔と違って。
 今の旦那は、こうして俺に話してくれるから。

「心なんてそういうもんなんですよ。それでいいんじゃないですか?」

 俺は、答える事が出来る。

「まぁ、あんたのその中身こころの濁りは、俺には落とせないけれど」
「…………」
「外側だけなら、この赤竜印の石鹸を使って全部落としてツルピカにしてあげますよ?」
「…………ツルピカ?」

 でもね、旦那。 
 自分の血で染まったあんた、綺麗でしたよ?
 なんて血あかが、似合うんだろうって……今日、改めて俺は思いましたよ?

「そう。ツルツルのピカピカです」

 真っ白だったあんたに、異界から来たあの子は。
 いろんな心いろを、鮮やかにつけてくれる。

「……ツルツルのピカピカ…………それは清潔きれいになる、いうことか?」
「そうです。……この先、あんたが姫さんのために何千何万殺したって……誰を殺したって、何を壊したっていいんです。大丈夫なんです」
「……ダルフェ?」

 その心いろは。
 言葉では言い表せないほど、多種多様で。
 明るく、暗く。
 淡く、濃く。
 澄み、濁る……。

「これからもこうして洗って汚れを落とせば良い。……大丈夫、どんな汚れだって、俺がなんとかしてみせます。俺がいなくなったっても、ジリギエがいますから……ジリギエがいなくなった後は、あいつの子があんたを清潔きれいにして……綺麗でいさせます・・・・・・・・」
「……ジリギエ……りこはあれを気に入っている。とても、な。……あの幼生も、いずれ子を作る。りこは、きっと喜ぶな?」
「ええ、そうです。ジリギエだけじゃない。俺の孫もひ孫もその先の子供達も、姫さんは絶対に気に入りますって! ……だから……ねぇ、旦那。俺にね、良い案があるんですけど? これからあんたの髪を洗いますから、それが終わったら訊いてもらえます?」

 過去も現在いまも、未来も。
 きっと、きっと。
 あんたは、色々な想いに心を染めて変わっていくだろう……俺には、傍でそれをずっと見ることは出来ないけれど。

「良い案?」
「ええ、姫さんのことで」
「りこの?」

 旦那……ヴェルヴァイド、大丈夫です。
 情念にまみれて、その心が穢れても。
 その身が、どんなに血肉に汚れても。

「ええ。あの子にとって、重要で大事なことです」

 その度、想うがゆえに心は色を与えられ。
 あんたのその美しさはさらに彩られ、損なわれずに増すばかりなのだから。

「……………………わかった。後で、聞いてやろう」

 大丈夫。
 どんなあんたでも。
 きっとあの子は、誰より何よりあんたを愛してくれる……はずだから。

「ありがとうございます」

 もし。
 そうでなければ。

 【鳥居りこ】に、この世界での価値は無い。

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