花散里でもう一度
あの夜も屋敷の縁側に腰掛けてブラブラしていた。

暮れ行く山を眺め、ぼんやりと佇んでいた私に声を掛ける者が有る。
いつしか辺りはすっかり暗くなり、その声の主の姿はみえぬ。

屋敷の下人が私に直に声を掛ける事は無い。ということは、屋敷の外から忍び込んだ賊である可能性が高い。
恐ろしくなり、姫にあるまじき振る舞いだが、大股で走り出した。
ほんのり明かりが灯った部屋を目指し、緋袴を蹴り飛ばしながら、全力で走ったつもりだったが…敢え無く腕を掴まれ、口を塞がれ、振り返る間も無く体に感じる浮遊感。
気が付いたら母屋の屋根の上にいた。

自分を捉えて離さない賊。
遮二無二暴れて、自分の体に回された腕に噛み付いて、ようやく体の自由を取り戻せば、呆れたような顔をした男が私を見下ろしていた。

「お前の櫛だろう、返す。だからあの小刀を返せ。」

見覚えのある櫛を懐から取り出し、私の鼻先に突き付ける。
月明かりに照らされたその男の額には、二本の角があった。

それが茨木との出会い。

あれが本当の鬼ごっこなのだな。

その後、色々あった。

父上の命で、女房として宮中に上がるはずが、茨木の兄に攫われて鬼の里に連れて来られた。
さらに、鬼の薬師であるおばばに弟子入りして、念願成就し、薬師としての修行が出来た。

それから…茨木が私を妻にした。
私も茨木を愛した。

縁とは不思議なもので、交わるはずのなかった私と茨木の道は交差し、今では夫婦となり、新しい家族も授かった…。

根無し草の様な私が、ようやく自分の居場所を手に入れたと思った。

幸せだった。

ただ、いきなり引き離された父上や母上様の事は心残りではあったが、もはや鬼の長である茨木の妻に収まった私が、人の世に帰れる訳もなく…一言別れを告げに行くのが精一杯だった。



後は…思い出すのが辛くなる。

源頼光を頭に、大勢の人間が鬼の里に攻め込んだ。
無論、中納言の姫君の奪回の為。
私のせいで沢山の命が失われた。
鬼も人も、沢山の血が流れた。

そして、鬼達の流浪の旅が始まり、私達は離ればなれに…。

このまま茨木に逢えない…なんて無いよな…。

ぱんっ!

勢い良く両頬を叩き、不安に押しつぶされそうな自分を鼓舞する。

私には伊吹がいる。
まだまだ小さな我が子は、こんな私でもそばについていなくては、生きてはいけぬ。
しっかりしろ!
過去の事でくよくよしていられない。
茨木に怒られそうだ。


そろそろ中に戻ろうか、体もだいぶ冷えてしまった。
そう思って小屋の木戸に手をかけようとした時、ガラリと木戸が開いた。

怒ったような顔で、阿久が見下ろしている。
私のせいで起こしてしまったのだろうか。

「あ…っと…もう寝ようかな…なんて…」

一瞬、何をされたのかわからなかった。

すっと伸びて私の頬を撫でた手は、私の頤を持ち上げると、冷えた私の唇に、暖かで、柔らかな感触がある。
見開いた私の目は、彫りの深い男の目元を凝視していた。

慌てて阿久を突き飛ばし、後退り睨みつける。
心臓が痛いほど強く打つのが分かる。気が動転して言葉が出て来ない。

「…な、んで」

ようやく絞り出した声は、震えていた。









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