渡り廊下を渡ったら

夜風がふわっと、火照った顔をなでた。
・・・いけない。
この数日間を思い出して、少しぼんやりしてしまったようだと、気持ちを持ち直す。
少し身じろぎすれば、肩まで浸かったお湯がはねた。


横目に団長を見れば、彼もまた、のんびり身体を休めていたようだ。
気を抜いた私を見られたら、近づいて来ないとも限らない。
ほっと息をついて、話しかける。
「あの、私はもう十分浸かったので、お先に失礼します・・・」
「ん?」
団長が振り返る。
「あぁ、それなら私も一緒に孤児院まで戻ろう。
 この時間に民間人を1人で帰すわけにはいかない」
勤務時間外だろうに、職務に忠実な彼からご親切な申し出をいただいたけれど、今一緒に温泉から出てしまうと、困ったことになる。
そう、この団長さまは、私が女性であることに全く気づいていなかった。
・・・今も身体にタオルを巻いているし、湯けむりではっきりとは見えてないだろうから、きっと15歳くらいの男の子なんだろう、くらいにしか思っていないのだろうと私は思っている。
一般的に男性しか着ないもの着たりして、どう思われるかなんて、ちゃんと分かっていたけれど。
「えっと、大丈夫です!
 もう何度も1人で来てますし!」
「いや、だが・・・・・」
言いかけた団長の表情が硬くなって、違和感を感じた私の肌を、張り詰めた空気が刺す。
少し離れているはずなのに、その目に何かが宿ったように見えた。
「あの・・・?」
団長は無言で人差し指を口元にもっていく。
・・・黙っていろということか。
私は指示のあったとおり、黙って様子を見守ることにした。
彼の視線の先にあるのは、少し先の茂みだ。
茂みに潜んでいるなんて、肉食の獣か、それとも夜盗の残党か・・・・どちらにしても、私は全く戦力にならない。
しかも、今は右肩のあたりを打撲している。足を引っ張る要素しか持っていない。
いざとなったら、私は一目散に逃げようと足に力を入れた。
この場にいること自体が、足手まといになるのなら、急いで孤児院まで走って助けを呼んだ方がよっぽどいいだろう。
そんなことを考えているうちに、団長が温泉の底を手で探り、手のひらに乗るほどの大きさの石を構えた。
投げるつもりなのだと、すぐに分かった私は息を詰める。
そして固唾を飲んで見守っていると、ガサっ、と音がした。
そうなることは予想していたはずなのに、いざそれが起こってしまうと人は体が強張って何も出来なくなるらしい。
私もそれに漏れず、足がガチガチに固まって動くことが叶わなかった。
逃げることすら出来ない私とは対称的に、団長は音がしたのと同時に手の中にあった石を投げていた。
そして茂みからは、「きゃん!」という明らかに小動物の鳴き声がして、その後茂みを揺らしながら気配が遠ざかっていった。
「・・・動物、だったんですよね?」
問いかけに、茂みを観察していた団長が振り返った。
もう逃げたのだと思って安心している私とは逆に、振り返る一瞬前に強い視線で茂みを一瞥して。
「あぁ、おそらくな・・・。
 あれが子どもで、親が側にいたら困ったことになるかも知れないが。
 ・・・夜盗は残党も含めて、1人残らず捕縛して王都へ送ってある。
 ・・・もう大丈夫だろう」
もう一度茂みを振り返ってから、団長のOKが出た。
「じゃあ、私はこれで。
 明日また、太陽が昇りきった頃に部屋に伺いますから」
これ以上ここにいたら、拙い。
もう少し近づいたら表情まできっちり見えてしまう距離だ。
くるりと背を向けて、脱衣所に向かおうとしたところで、彼にしてみれば何でもない言葉をかけられる。
「いや、待て。やはり一緒に・・・」
耳のすぐ近くに聞こえた声に、顔だけ振り返って見れば、団長が至近距離で私を見ていた。
・・・まずい!
血の気が引く感じがするのに、何故だか頭がのぼせそうだ。
「いやいやいや!結構ですから!」
必死に言葉を返しながらも、なかなか進まないお湯の中彼から遠ざかろうと足を動かす。
すると、彼の咄嗟に、とでもいうような声が間近に聞こえたのと同時に、
「あ、おい」
「ぅあっ!!」
背中に痛みが突き抜けた。
彼が、私を引きとめようとして、とっさに肩に手をかけたのだろう。
激痛が頭の先まで突き抜けていくのを耐えながら、それだけは分かったのだけれど・・・。
とにかく痛い・・・!
そして、思わず身を捻ったせいか、足を滑らせた。
本当に、ここ数日調子の狂うことばかりだ。全くもって歯車の噛み合わせがおかしい。
目をぎゅっと閉じて、頭までお湯に沈む衝撃を覚悟した私に、それがやってくることはなかった。
「おい、大丈夫か」
その代わりに、困惑した様子の彼に、片腕で身体を支えられていた。
顔を覗き込まれて、かぁぁーっと顔が火照る。
「だっだだっ大丈夫です!」
咄嗟に答えたけれど、肩がじんじん痛む。
若干涙目になっているのは、もうこの際仕方ないし隠しようもないだろう。
そんなことにまで構って、取り繕うだけの余裕はなかった。
団長の深い緑の目が、私の顔を見て大きく開かれている。
恥ずかしさと痛みで、しばらく自分の置かれている状況を忘れていた私は、はっと我に返った。
「・・・嘘だろ・・・」
緊張したような、ぎこちなさのある声をかけられる。
タオル越しに身体の輪郭を、視線でなぞっていたのだろう、彼は私を支えて見下ろしているというのに、一向に目が合うことはなかった。
団長の腕に力がこもった。いや、腕がこわばったのか。
「女、なのか・・・?」
掠れた声で、確認ともとれる言葉を紡ぐ。
私も諦めて、一度だけうなづいた。
私が肯定したのを見て、団長の顔が凍りついて、急に怖い顔になる。
「すまない、知らなかったとはいえ、女性に対してふさわしい態度を欠いていた」
そして、するりと腕が離れたかと思えば、団長が1歩下がった。
ふわっと夜風が間を通る。
長くお湯から肩が出ていたせいか、なんとなくひんやりして、湯に浸かって首を振った。
おかしいな、頭がのぼせそうだったのに・・・。
「いいんです。私も、男だとも言ってませんが、女だと自己申告してませんから。
 普段の格好も、勘違いさせてしまうって分かってます・・・。
 あの、あまり気にしないで下さい。
 孤児院の男性達からも、ほとんど女性扱いされてませんし・・・」
自分で言葉にするとなんだか虚しいものが胸に広がって、最後の方は早口になった。
心の中で、胸もあんまりないし、と付け足して。
団長の顔は、湯煙が流れていてよく見えないけれど、きっと今までみたいに無表情に眉間にしわを寄せているのだろう。
沈黙が落ちた。
団長も気まずいんだろうな、なんて思っていた私は、早く彼の前から去った方がお互いのためになるような気がして口を開く。
「いろいろお騒がせして、すみませんでした。
 身体も冷えてしまったと思いますし、団長はゆっくり浸かっていって下さい。
 私はお先に・・・」
そう言って出て行こうとしたら、またしても引きとめられた。
「やはり1人で帰すのは気が引ける。
 脱衣所を出たら、待っていてくれるか」
「え、いや・・・・」
仕事熱心なことで結構だけど、無理することないのに、と正直思ってしまう。
そして、どう断ったら穏便に済むのかを考えているうちに、もう彼が引きさがることはないだろう、と観念する。
もう暗くて表情もほのかに分かる程度なのに、その目が真剣な光を放っていたのだ。
逃げたら追いかけて来そうな、そんなことを予感させる目だった。
「それじゃあ、お言葉に甘えて送ってもらいますね。
 着替えたら外で待ってます」


満点の星空と、静かに輝く月を眺めて、そっとため息をつく。
私は着替えて、濡れた髪をおろして風にさらしていた。
フクロウのような、鳥の鳴き声が聞こえる。
さらにぼーっとしていると、背後に気配がして振り返った。
「待たせたか」
そこには私と同じように濡れた髪の、団長が。
「・・・いえ・・・」
駄々漏れの色気に、一瞬言葉を失った。
・・・美女ホイホイになれますよ団長。
同じように温泉から上がったのに、この雲泥の差は一体なんなのかと、内心ため息をついた。
「行こう」
そんな私の視線には気づかないフリをしているのか、彼が先に一歩を踏み出す。
温泉は、街道から少し外れた場所にある。
木にくくりつけた布を頼りに、街道へ戻ってひたすら歩くのだが・・・。
心配だから一緒に帰ると言ったわりには、結構なスピードで歩いていくので、ついて行くこちらは競歩のようだ。
息が切れそうになりつつ彼に着いて行くと、おもむろに団長が足を止めた。
「?」
もしやまた、何かの気配を感じたのかと、あたりを見回すが、私みたいな素人には全く分からない。
「どうしたんですか?」
私からは彼の背中しか見えない。
何か言ってもらえないと、不安になる。
「いや・・・
 君は、なぜ男の格好を?」
振り返って、問われた。
呼び方が、女性相手だと「君」になるんですね。
なんだか身にまとう雰囲気も、若干やわらかくなっているような気もする。
私は言葉を選びながら、素直に答えた。
「ええっと、ですね。
 以前・・・孤児院での生活に慣れた頃に、お遣いを頼まれたんですよ。
 で、運悪く、お金を盗られてしまって。
 長いスカートが邪魔で思うように走れなくて・・・。
 誰かに知らせるにしても、追いかけるにしても、情けないくらいに動けなくてですね。
 それで、決めたんです。
 人にどう思われても、必要な時にちゃんと動ける格好をしよう、って。
 もう誰かに守ってもらうような年でもないですから・・・」
いろいろ省いたけど、私の気持ちは分かってもらえたようだ。
団長は腕組みをしながら聞いていたが、ちゃんと相槌をうってくれていた。
「そうか。
 それは大変だったな」
今まで村の人たちや、孤児院の人たちからは、男装についてあんまり理解をもらえなかったから、団長の言葉はとても嬉しい。
否定も賛成もしないところが、大人だなぁ、なんて思っていたら。
「・・・だが」
少し険のある声が飛ぶ。
身をこわばらせて、団長の顔を仰ぎ見る。
「たとえ物盗りにあっても、絶対に追いかけたりしないように。
 何かあってからでは遅い」
「・・・はい」
素直に頷く。
「それから」
「えっ?」
・・・まだあるのか、という思いが、口から漏れてしまった。
「これからは、きちんと女性の格好をした方がいい。
 年頃にさしかかるのだし、」
「ちょっと、ちょっと待って下さい」
勇気を持って団長の言葉を遮る。
案の定、彼は納得のいかない表情をしているが・・・そこはこの際どうでもいいだろう。
夜風がふわっと吹く。
「私、いくつに見えてたんですか?」
「・・・うん?」
眉間にしわを寄せる団長。
なんでそんなこと聞くんだ、とでも言いたそうにしている。
「14,5歳だろ?
 最初は、騎士見習いにくる連中と同じ年くらいかと思っていたが・・・。
 ・・・女なら、そろそろ好きな男の1人や2人いてもおかしくないだろう?」
「24です」


「そ、そうか」
しばらくの沈黙のあと、団長はただ頷いた。頷くしかなかった、というような雰囲気で。
けれど私は気づいていたのだ。
彼の視線が、私のつま先から頭の先までをゆっくりなぞっていったのを・・・。
そんなふうにされたら、何を想像されているのか嫌でも分かる。
私は冷たい視線を投げながら、棘のある声で言ってやった。
「すみませんね、子どもにしか見えなくて」
「すまない」
「謝られるとよけいに傷つくんですけど」
「あぁ、すまない」
「・・・」
これ以上会話をしても傷をえぐるだけだと悟った私は、矛をおさめることにした。
そして短く息をついて、「帰りましょう」と言おうとした時だ。
「それで、君はいつ渡ってきた?」
団長が突然問いかける。
「え・・・?」
突然すぎて、理解が追いついていかなかった。
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