カラフルデイズ―彼の指先に触れられて―

誰もいないこの時間が一番落ち着いて仕事出来る。

ようやく何にも邪魔されずに業務に取りかかろうとしたときに、たった今、森尾さんが出て行ったドアが再び開く音がした。
勝手にその犯人を森尾さんと決めつけて、振り向くことをせずに言った。


「なに? 忘れ物?」
「相変わらず熱心にやってんだな」


けど、返された声が彼女と比べてあまりに低くて驚いた。
心臓が止まるかと思ったほどに。

私の脳は、その声に当てはまはる人物を検索し、答えを弾き出す。


「じ、神宮寺(じんぐうじ)さん……!」
「お。あたり。そして相変わらず美人だな、阿部は」


爽やかな笑顔は最後に顔を合わせたときと変わらないと思う。
そして、その笑みを浮かべた口から出てくる言葉も相変わらず。

振り向きざまに彼の名前を口にした私を見下ろしていたのは、がっしりとした体つきをした、日に焼けた健康的な肌をした男。


「それはありがとうございます。神宮寺さんは少し太ったんじゃないですか?」


クルッと椅子を回転させて、神宮寺さんと向き合うと、私は挨拶がわりの言葉を浴びせた。

だけど、私のそんなところも知っている神宮寺さんは嫌な顔なんてしない。
むしろ声をあげてお腹を抱えて笑うと、目を細めて言う。


「やっぱり?」
「……はい。けど、前は痩せていたくらいだと思いますから、今がちょうどいいですよ」
「ナイスフォロー。歩かなくなったらやっぱり多少肥えちゃってね」


私の頭に、ぽんっと手を置き言うと、神宮寺さんは私の後ろの席に腰を下ろした。
背もたれに両腕を乗せ、背を丸める。

その姿があまりに変わらなくて、私もきっと、自然と笑ってしまっている。


「歩かなくなった……って、営業じゃなく、今はどこに配属なんですか?」
「企画」
「いつから?」
「辞令は今月のアタマから。ほんとはそれよりちょっと前にきてたけど。すぐ阿部に会いに来たかったけど色々忙しくて」


人差し指を、とんとん、と一定のリズムで打つ。
その仕草もあの頃からのものだ。

神宮寺さんがその仕草をしているときは、何か真剣に考え事をしているときなんだろうな、と当時思ってみていた。

今は何をそんなに考えて、指を動かしているのだろう。

その疑問を目で訴えかけるように、神宮寺さんを見た。
斜め下にある碁盤の目の大きなタイルに向けていた彼の黒い瞳が、パッと動いて私の目と合う。

そしてその瞬間に、猫背になっていた姿勢を少し正すと、何かポケットから取り出して言った。


「連絡先。聞いてもい?」



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