ボレロ - 第三楽章 -


屋敷の周囲は綺麗に掃き清められ、正月を迎える準備が整っていた。

ご一族の恒例で、大晦日から正月三が日をホテルで過ごすそうだ。

訪問するには早い時刻だったが、昨夜は我が家に滞在した祖父母とともに早く出かけてきた。

車を降りて玄関前に行くと、大叔母さま自ら出迎えてくださった。



「ようこそおいでくださいました。さぁ、どうぞ」



いつお会いしても朗らかなお声で 「珠貴さん、お久しぶりね」 と私へもにこやかなお顔を見せてくださった。

部屋へと案内してくださる途中、通りかかった部屋の奥へ向かって 「いらっしゃいましたよ」 と大叔母さまが声をかけた。

半分あいたドアから姿を見せたのは宗だった。

驚く私へ微笑むと彼は隣りへ視線を移し、祖父母へ丁寧な挨拶をはじめた。

先日はご心配をおかけいたしましたと頭を下げる宗へ、君も大変だったねと祖父が応じる。

言葉は丁寧だが、双方の声に親しさが含まれている。 

私の知らないところで宗と祖父母はつながっていたということか。



「珠貴、やっと機嫌が直ったな。宗一郎君の顔が見えたら、嬉しそうな顔に変わったぞ」


「いえ、そんな……」


「そうですよ。会いたい方がいらしたんですもの、嬉しいに決まっています」



祖父母に言い当てられ、恥ずかしさで顔を下に向けた。

「頬がほんのりと染まって、おかわいらしいこと」 と大叔母さまにまで言われ、本当に顔が火照ってきた。



「息子がへそを曲げましてね、珠貴も少々辛い思いをしているところです。君にも申し訳ない」


「いいえ……」


「孝一郎さん、紀代子さんとご自分のことを思い出されたのでしょうね」



私の両親に昔なにがあったのか、祖母の言葉に祖父が顔をしかめた。



「それにしてもだ、いい加減許してやればいいものを」


「あの、どういうことでしょう」



父が私へ強硬なまでに厳しい言葉を向けるのは、何かわけがありそうだ。



「紀代子さんをお迎えになるとき大変でしたのよ。ねぇ、あなた」


「うん。紀代子さんの父親が、娘を青木の家から出すつもりはないと言うのを、そこをなんとかと食い下がった」


「青木先生は、紀代子さんにご養子をお迎えになるおつもりでいらっしゃったそうですから、なかなかお許しがいただけなくて」


「何度も通ったようだ。最後は孝一郎に根負けしたとおっしゃっていたよ」



思わず宗と顔を見合わせた。

父と母の間に、そんなことがあったとは初めて聞く話だった。



「宗さん、頑張りなさい。お父さまに負けてはいけませんよ」


「はぁ……」


「ほほっ、今日だけはいろんなことを忘れて楽しんでいらっしゃい」



夕方までおふたりでご自由にどうぞと大叔母さまに言われ 「ほら、はやく」 と祖父母もせきたてる。 

私たちは、お屋敷から追い出されるように出かけることになった。





宗の車に乗り込むと、シートベルトをしめる前の私の肩を宗が抱き寄せた。



「大叔母さまは静夏とベルンにいて留守だったから、この家に勤める者は休暇中だった。 

急な帰国で人手が足りなくて、ウチから何人か連れていけとお袋に言われてきたんだ。 

大晦日に暇にしてるのは、俺くらいだってことなんだろうな。

君との約束があると言い出せなくて……すまなかった」


「うぅん……会えると思わなかったわ」


「大叔母さまと一緒に 『吉祥』 に行くことになっている。それまでフリーだ、どこに行こうか。 

いきたいところがある?」



黙ったまま首を振った。



「そうだな……」



考える顔をしていたが 「よし 決めた!」 と声がした。


来年の大晦日は、私はどこにいるのだろう。

どこでもいい、宗と同じ時間を過ごせるのなら……

思いを伝えるように胸に顔を押し付けると、まるで返事をするように宗が私の髪に唇を押しあててきた。

黙ったまま互いの呼吸を感じていたが、庭から鳥の鳴き声が聞こえてきた。



「シジュウカラだね。冬の鳥だ」



宗の腕の中で聞く鳥の声に耳を済ませた。

「行こうか」 と宗の明るい声がして、車のエンジンがかかった。

軽快に動き出した車は、大晦日の街を北へと走り出した。
 
 
< 158 / 349 >

この作品をシェア

pagetop