ボレロ - 第三楽章 -


『吉祥 別邸』 のメインダイニングのテーブルに初めて座った知弘さんだったが、もう何年もそこが指定席のような落ち着いた風格があった。

身重の静夏の体をいたわり、立ち座りの際は常に手を添える。 

挨拶にやってくる客にもそつなく挨拶をし、それでいて控えめな振る舞いが好ましい。

今まで末っ子の立場に甘え、わがままいっぱいに振舞っていた静夏まで、妊婦特有の存在感でありながら夫の後ろにひかえ、須藤専務夫人になりきっているのだから驚かされるというものだ。

パートナーがいない身としてはなんとも居心地の悪い席だったが、両親にとっては嬉しい新年の席になっていた。 

 
「来年は、小さなお席を用意しなくてはいけませんね」


「そうだね。来年の正月は、何ヶ月になっているのかな?」


「予定日に生まれたら、そうですね……9ヶ月から10ヶ月でしょうか。その頃になると座れるんですか?」 


「えぇ、ひとりでお座りができる頃ですよ。早い子は歩いていますから」


「歩くんですか……まだここにいるのに、信じられないな」



両親とやり取りをしていた知弘さんは、静夏の腹部に手を添えながら眩しそうな目をした。

それをまた、みなが微笑ましく眺めている。

来年の正月には静夏の腹にいる子がこの席に加わり、賑やかな声をあげているなど想像もつかない。

母親の顔をした静夏が子どもの世話をしているなど、それこそ考えられないことだ。

来年の話か……鬼も笑うわと心の奥でブツブツと言いながら、黙々と食事を口に運ぶ私に、お袋から急に声がかかり危うく噴出しそうになった。



「宗さんのお隣りに、珠貴さんもご一緒してもよろしかったのに」


「なっ、なにを言い出すんですか。そんなことできるわけないでしょう」


「あら、そうかしら。ねぇ、あなた」


「まぁ、そうもいかんだろう。宗一郎の立場もある」


「俺の立場より……いえ、なんでもありません」


「おほほ、来年は楽しみにしておりますよ、宗さん」

  

大叔母さまにまで言われ、食事どころではなくなってきた。

手付かずのシャンパンをグッと飲み干し 「先に失礼します」 と立ち上がった。



「珠貴さん、今夜は伊豆にいらっしゃるから行っても会えないわよ」


「おまえに言われなくてもわかってる!」



慎ましい専務夫人の顔が消え妹に戻った静夏にからかわれ、つい言わなくていいことを言ってしまった。

わぁっとテーブルが笑いに包まれ、ますます居心地が悪くなった。

前に座っている紫子は必死に笑いを堪えていたが、その横にいる潤一郎が 「早く行け」 と目配せしてくれたのは救いだった。


ダイニングから出て行く私へ 「宗一郎さん、今年は良いことがおありのようですね」 と、神経を逆なでするような言葉を掛ける人とすれ違い 「まだ決まっておりません!」 と怒鳴りそうになったが、黙って頭を下げるにとどめた。

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