ボレロ - 第三楽章 -
  

そんな私たちを、さらに窮地に追い込む事態が起こった。

二日続けて早朝の電話で起こされた私は、漆原さんからもたらされた情報を

目の前に呆然と立ち尽くした。



『昨日、近衛宗一郎氏の密会の写真が明らかになり、

交際が噂された 『SUDO』 社長令嬢Tさんだったが

本紙記者の極秘取材により、驚くべき事実が判明した。

近衛氏がTさんに近づいたのは、Tさんの父親の会社を吸収するための

工作だった。

女性の心を巧みに利用した近衛氏の手腕は、今回だけに限らず……』



これはなんだ……

珠貴の心を巧みに利用しただと?

いい加減にしろ!

昨日の雑誌を床に叩きつけた。

いったいどこに潜入して、なにを調べたというのだ。

書かれているのは 「本紙記者」 の憶測であり、事実などどこにもない。

怒り狂った私の耳には、漆原さんのなだめる声も届かなかった。

「これからそっちに行きます」 とだけ聞こえてきた。


噂が一人歩きを始めていた。

ほどなく他の雑誌も追随することだろう。

週刊誌だけでなく、テレビ局も動き出すかもしれない。

根回しができる範囲はとっくに超えていた。


去年の悪夢を思い出す。

プライベートはことごとく制限され、仕事にも支障をきたした。

記者やリポーターに付きまとわれ、心無い言葉を浴びせられた。

我慢の限界に耐えられず、つい吐き出したひと言が、彼らの手により都合よく

編集され世間に流れた。

またあのような思いをしなければならないのか。

もうこりごりだと思ったのに、私に耐えられるだろうか。


いや、なにがあっても耐えなければならない。

私一人だけでなく、すでに多くの人々を巻き込んでいる。

彼らのためにも絶対に乗り越えてみせる。

私の決意が固まったとき、一本の電話がかかってきた。

珠貴だった。



『漆原さんから連絡を頂きました』


『聞いたんだな。そういうことらしい。だが、負けるわけにはいかない』


『わかるわ、あなたの気持ちはわかっているつもり……宗、聞いて』


『どうした』


『母が疑ってるの』


『疑ってるって、なにを』


『あなたが私に近づいたのは、理由があるんじゃないかって。

そんなことはない、絶対にないと否定したのよ』



珠貴の言葉を聞き、体中に衝撃が走った。

なんだって? どうしてそうなる、理由とはなんだ。 



『なぜ今日発売の週刊誌の記事を、叔母が知っているのかわからないけれど、

叔母から母に電話があったの。  

あのような記事がでたのは、私に軽率な行動があったからだと怒られたそうよ。

これからは、近衛さんとお近づきになるのは避けたほうが賢明だと、

強く言われたらしいの。

個人的に会うのはもちろん、近衛グループの方々にお会いするのも

避けるべきでしょう。

誤解を招くような行動は慎むべきだって、世間の目もあるからと……

母の気持ちを惑わすような事を、次々と並べたみたい』



珠貴はそこで言葉を切ったが、深いため息を漏らして辛そうにあとを続けた。



『乗っ取られるまえに、そうならないように、

今のうちに手を打つべきだと……』


『乗っ取るだって? そんなこと考えてもいない』


『わかってるわ……』



作り上げられた記事と掲載ミスの記事から新たな記事が生み出された。

事実無根の記事は、私と珠貴を奈落の底に突き落としたのだった。


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