ボレロ - 第三楽章 -


「いいかもしれない」


「本当?」


「俺は賛成だな。ただ、大叔母さまだけでなく、屋敷の使用人も受け入れることになるが、君はどう思う」


「願ったりだわ。お屋敷のみなさまも、大叔母さまとご一緒のほうがいいでしょう?」


「珠貴は本当にそれでいいのか? 俺や叔母さまに気を使って言ってるんじゃないだろうな」


「そんなことない。家で迎えてくれる人がいるのよ、嬉しいことだと思わない?

二人の暮らしもいいけれど、大勢のほうがもっと楽しいわ」



結婚前は、暗く誰もいない部屋に帰るのが当たり前だった。

結婚後、私を玄関で出迎えてくれる珠貴の顔を見ると、一日の疲れも和らいだ。

「おかえりなさい」 と迎えてくれる人がいる、そう思うだけで帰宅が楽しみになっている。

  

「大叔母さまに話してみよう。きっと賛成してくださるよ」


「えぇ、そうね」



祖父が別邸として使っていた屋敷は、祖父が引退したあと住み、その後、大叔父に譲ったものだ。

古くはあるが造りは立派なもので、大叔父が亡くなったあと大叔母が大事に管理している。

小さいころ、兄弟で遊びに行き、屋敷の中や庭を走り回った記憶がよみがえった。

家では 「走ってはだめですよ」 と母親より厳しいハウスキーパーの浜尾さんに注意を受けたが、大叔父の屋敷では走り回っても怒られることはなかった。

大叔母はにこにこと嬉しそうな顔で、私と潤一郎がはしゃぐのを見守っていた。

遊び疲れると、見計らったように茶菓が用意された。

家では禁止されていた市販の炭酸飲料をテーブルの上に見つけたときは、潤一郎と手を上げて喜んだものだ。

「お母さまや浜尾さんにはさん内緒ですよ」 と添えられた大叔母の言葉に 「はい」 と真面目に返事をしたのも懐かしい。

駄菓子屋へ連れて行ってくれたのも大叔母だった。

屋敷近くにそのような店はなかったから、どこか遠くへ出かけたおりに寄ったもので、それこそ普段は口にしない品が並ぶ店内に兄弟で目を輝かせた。

「くじ」 という、子どもには魅力的な方法で手に入れたガムは鮮やか過ぎる色が着色されており、食べてもさほど美味しいものではなく、噛んだあと舌が赤くなった。

けれ、 そんなことが子どもには楽しいもので、大叔母と私たちの 「内緒」 は増えていった。


子どもを喜ばせることが上手な大叔母のことだ、私たちの子どもにもいろんな刺激を与えてくれるだろう。 

庭のテーブルに珠貴と大叔母がいて、走り回る子どもたちがいて……

そうなると庭の手入れも必要だな。 

生い茂った裏庭に手を入れて、明るく開放的にしたらどうだろう。

楽しい想像が頭の中を駆け巡った。



「……宗……ねぇ、考えごと?」


「えっ? あっ、うん……子どものころを思い出していた。屋敷の庭が広くて、潤とよく走り回ったんだ」



未来図を描いていたとは言えず、とっさにごまかしたのだが、珠貴の次の言葉にまた驚き口元が緩んだ。



「あれほどの広さのお庭、なかなかないでしょうね。 

子どもが生まれたら、庭を散歩したり、少し大きくなったら走り回って過ごせるわ。

裏庭も相当な広さでしょう?」


「ふっ、ふふっ、あはは……」


「どっ、どうしたの?」


「ははっ、いや、俺が考えたことを、そのまま珠貴が言うから……俺も裏庭の手入れしようかと考えてた」


「ホント、私たちって考えることが同じね」



顔を見合わせ笑みが出る。

いい気分でいたところ、雰囲気を乱す足音と聞き覚えのある声が聞こえてきた。



「先輩、こんなところにいたんですか。探しましたよ。さよならパーティーの前に打ち合わせです。 

急いで戻ってください。早く、頼みますよ」



タキシードからスーツに着替えた平岡は、言いたいことだけ言って立ち去った。



「平岡の声を聞いたら、現実を思い出した。夢から覚めた気分だよ」


「明後日からまた、いつもの生活がはじまるのね。でも、それも楽しみよ」



いかにも嬉しそうな顔を見せると、デッキチェアの肘掛に乗せていた私の手に珠貴が手を重ねてきた。

同じ未来を見る目がそばにある。

ひとつのものを一緒に見つめることが、こんなに心を満たすものだとは思わなかった。

船旅の緩やかなときが、心を豊かにしてくれたに違いない。

珠貴と旅の余韻を楽しんでいたいが、次の予定のための準備が待っている。

立ち上がり手を差し出すと、満面の笑みを浮かべた珠貴が私の手をとった。

海の彼方に連なる空には、いつのまにか入道雲が姿を見せていた。



                                ・・・ 完 ・・・





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