流れ星になったクドリャフカ〜宇宙で死んだ小犬の実話〜

┗水溜まりに映る真っ白な未来

 今日も僕はホットサンドを買って帰った。

 いい加減、本当に部屋を片付けなければいけないと思うのに、仕事が忙しくてなかなか機会をつかめずにいる。


「ま、生き物相手の仕事だもんな」


 宇宙開発局は慢性的な犬不足とともに慢性的な人材不足にも悩まされていた。

 国から出される資金もそう多くはないようだし。


「仕方がないよな。世話してやらないといけないから」


 僕は、犬のことを思うと笑顔になる。

 最初は犬なんて別に嫌いじゃないけど好きでもなかった。

 けれど、犬がアルビナやリサ、デジクやスメラとそれぞれの名前を持った相手になると彼女たちは立派な個人になる。

 厳しい訓練に適応しようと頑張る健気な彼女たちは立派な宇宙飛行士候補であり、僕らのような下っ端よりよっぽど優秀な宇宙開発局の一員だった。

 頼もしい同僚だよ、まったく。

 一人でニヤニヤ笑っていると、すれ違う人たち皆が奇っ怪そうに僕をみていた。

 慌てて笑みを引っ込めて顔を引き締めると、次に頭に浮かんだのは宇宙開発局にいない犬のことだった。

 僕の犬好きも相当進んだらしい。

 ただ一回エサをやっただけなのに、こんなにも情が移ってしまうとは自分でも驚きだ。


「どーしてんのかなぁ……」


 パシャン、と昨夜の雨でできた水溜まりに足を突っ込んでしまい水が跳ねた。

 それを避けようとして、よろめく。


「あっ、すみません」


 人にぶつかってしまった。


「ごめんなさい」


 ぶつかってしまったことを謝罪し、軽く頭を下げる。

 と、水溜まりの静かな水面に白い影が映り込むのが見えた。

 一瞬見えたそれに僕は頭を上げ、辺りを見回す。

 視界の端で、巻き毛の白い犬が道の端を歩いていくのをとらえた。


 白い巻き毛の体。

 鉢割れの茶色い頭。

 中折れの耳。


 よろめいている様子はなく、ケガは治ったようだ。

 まるで友人を見つけたように、その後ろ姿に声をかけようと口を開く。

 けれど、僕は口を開いたまま硬直し、愕然とした。

 子犬に向かって声をかけることなんて出来ない。

 だって、あの子にはまだ名前はないんだ……

 呼ぶ名前のない子犬を追って、僕は走りだす。


 可愛い巻き毛の子犬。

 僕はあの子に名前をプレゼントしてしまってもいいのだろうか?

 それはあの子にとって、とても迷惑なことかもしれない。

 飢えと凍えと孤独を感じずに済む代わりに、僕はあの子から自由を奪おうとしているのだ。

 僕に犬を飼えるだけの貯えも家もない。

 宇宙開発局での生活はただの飼い犬よりは過酷だろう。

 ノラ犬生活とどちらが酷か僕にはわからない。


 身動きもとれないほど狭い空間に閉じ込められたり、遠心加速機に乗せられたりする訓練が待っている。

 実際にロケットを使用する実験は命がけだ。

 それに、見たところ体重や身長に問題はなさそうだが、もしもあの子がオスだったなら、僕は一度差し延べた手を離さなければならない。

 もしも規定の身長や体重より大きく育ってしまっても、それは同じだ。


 なんて残酷なんだろう。


 そう思うも、僕は自分を止められなかった。

 なにがあの子にとって一番の幸福なのかわからないまま、僕は叫ぶ。



「クドリャフカ――!」



 小さな巻き毛ちゃん。

 僕は、犬ではなく一個人としてあの子と付き合うために、そう叫んだ。

 クドリャフカと僕が与えた名前に、彼女は歩みを止める。


 きゃん


 僕を振り返り、小さく鳴いた。

 ただ大きな声に驚いただけかもしれない。

 それでも僕は、なぜか泣きそうなほど嬉しかった。



 こうしてクドリャフカは、宇宙開発局の一員となった。
< 10 / 132 >

この作品をシェア

pagetop