メモリ・ウェブスター
より深く
 どうやら場面は学校のようだ。高速で雀の記憶が処理されていく。生徒が喧嘩をし、それを仲裁する教師達、凛々しい顔つきの男教師もいれば、腰を曲げた女教師もいる。怒気を強め、口を押さえた女性達。雀の視点は右往左往しているが、生徒達の喧嘩は二、三度視点を合わせただけで、ある教師の方に釘付けになっている。仕立ての良いスーツを着込み、いかにも両親に甘やかされて育てられ、順風満帆な人生を歩んでそうな男。まだ若い。ナイフで切り裂いたような細い目つきが私は気に食わないが。
 視点が変わる。トイレのようだ。これは見てはいけない。ただでさえ記憶は本人のプライバシーが詰まっている。ましてやトイレというプライベート丸出しの所は禁句だ。場面を切り替えようとイメージを早送りにしようとした時だった。
「あれ、これ何?」
 雀の声が聞こえた。スカートがひらりと舞う。何も見えてない。何も見えてない。自分に言い聞かす。
「ペン?」と雀は首を傾げているのか視点が左に揺らぐ。「細すぎでしょ。でもこれは・・・・・・」
 私もようやくペンを拝むことが出来た。それは何の変哲もないペンだった。握った瞬間折れそうな細い。色は黒。イニシャルらしきものが薄らと掘られていた。
 N・S
 視点が変わる。
「並木先生!」
 雀が教師に呼びかけている。その教師とは私が良い印象を抱かなかったナイフで切り裂いたような細い目つきの男。並木、か。N。
「雀さん。廊下は走ってはいけないよ。美人が台無しだ」
 綺麗に整列された歯を並木は覗かせた。
「ごめんなさい」と頭を下げているのだろう、雀の目線が下がった。上履きが見えた。
「もう走るなよ」
 と並木が優しく諭す。
 気持ち悪い、私の印象だ。顔に似つかわしくない甲高い声がさらに不快である。絶対に友達にはなれない部類に属する。
「廊下を走ったのには訳があるです」と雀。
「ほお」と鬱陶しいぐらいに並木は唇をすぼめ、「起こった出来事には、必ず結果なる理由が存在する」と、こいつは物理の教師だな、と私を思い込ませた。
「というのも、女子トイレに並木先生のペンが落ちてました」
 雀がペンを差し出した。柔和な表情をしていた並木の表情が一瞬、崩れた。信じていたものに裏切られた表情を一瞬だけ彼は見せた。だが、すぐにいつもの教師の、生徒に愛される慈愛の眼差しに戻る。
「なぜだろう?」と首を傾げ、「僕のファンかな」とおどけてみせた。
「そうかもしれないですよ。並木先生のファンって多いですから」
 雀が並木をよいしょする。こんな人間に、よいしょ、なんてしなくていいいのだ。己のキャラクターを使い分ける術を知っている人間は、よいしょ、することでさらに調子に乗る。褒められることで充足感を覚え、悦な気分に鳴る。
 ほら。
 心無しか並木の鼻が高くなった。
「物理の授業楽しみにしてます」
 雀が走り去った。そこで場面は終わった。
 が、私にはわかる。おそらく並木が雀の背中を凝視していたであろう、ことを。彼は危険だ。
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