ひとときの恋
出会い
 親の顔なんて覚えちゃいない。幸せなんてのも感じた事がない。
 気付いた時には、既にあたしは一人だったんだ――。

 十と二の歳の頃にあたしは花街に売られた。理由は親の借金を返す為。親と言っても本当の親じゃなく育ての親だ。

 あたしを育ててくれたのは寂れた村で暮らす老夫婦。田畑を耕して慎ましく暮らしていたけど、次第に野菜の収穫数が少なくなって生活が 苦しくなって来たんだ。
 その日のおまんまさえありつけるかどうかの瀬戸際。 そんな状態が暫く続いたある日、私は老夫婦にこう申し出たんだ。


「あたしを廓に売ってくれ。そうすりゃ暫くは食うに困らないはずだ」と。

 勿論老夫婦は大反対だ。


「お前を女郎にする為に今まで育てて来たんじゃない」


 そう言って涙まで流してさ、反対してくれた。でも生来頑固な性格だったあたしはそれでも花街に行くんだと言い切った。

 二人の反対を押しきり、一人村を出て京に向かう。京についてすぐ廓に入って、借金した金を老夫婦に送った後その金を返済する為死ぬ気で働いたんだ。 辱しめも、恥も全て我慢して――。


「鈴、あんたに便りが来てるよ」

「便り?」


 京に来て二度目の桜が咲く季節を迎えた時、あたしに一通の便りが届く。差出人は、幼い頃よく遊んでくれた隣の家のおばちゃんからだった。


『お絹ばあちゃんと喜助じいちゃんが亡くなりました』


 便りにはそう一筆書かれてた。


「ばあちゃんとじいちゃんが……死んだ?」


 勿論信じなかったさ。信じれる筈がないじゃないか。でもね、ある日店に来た客がこう言ってたんだ。


『ながたに村は災害でなくなった』ってさ。

 それがあたしが十五の歳の頃だ。 守るもんがいなくなった。残ったのは何十両という借金だけだ。

 いつしかあたしは、死を望む様になっていた ――。





 ある日の事、あたしはいつもの様に部屋で客を待っていた。日が暮れて町にぼんやりとした提灯の明かりが灯る時刻。障子越しに女将さんの声が響く。


「鈴客だよ」

「はぁい」


 寝転ばせていた身体をだるそうに起こすと、姿見の前で纏っていた着物を正した後唇に赤い紅をひいた。 立ち上がりうっすらと影の映りこんだ障子を開くと、目の前には女将さんと長身の男の姿。


「いらっしゃい旦那。さぁ入って下さいな」


 男の腕を抱き込む様に掴むと部屋の中へと誘う。 座布団の上に腰を降ろさせると、あたしもその横に寄り添うように腰を降ろした。

 御膳に用意された徳利を持つと、おちょこを男に手渡した。


「はぁいまずは一杯どぉぞ」


 おちょこに酒を注ぐと、男は何も言わず一気にその酒を煽る。


「あら、いい飲みっぷりだねあんた」

「酒は好きなんでね」


 低く通る声がそう応える。黒い着物を纏った大きなガタイ。長く伸ばされた綺麗な髪に、彫りの深い整った顔は育ちの良い雰囲気を醸し出 していた。頭の毛先から足の指先までじっくりとその男を見渡すと、あたしはふ~んと頷く。


「あんた、結構遊びなれてるでしょ」

「何故そう思う?」


 注ぎ足した酒をもう一度一気に煽ると、男はそう首を傾げた。


「あんたみたいな色男はね、女の方がほっとかないからさ」

「ほぉ……?」

「廓に初めて来る男はね、そりゃあ緊張してていつもガチガチ固まってるけど、あんたは馴れた風だもの。だからさ」


 クスクス笑みをもらしながらいえば、男もフッと笑む。


「人をたらしの様に言うなよ。こうみえて純情なんだぜ」


 その言葉に、あたしは高らかに笑い声をもらした。


「何だ、そんなに笑うこたぁねーだろ」


 腹を抱え笑いに悶えるあたしに、男は不機嫌そうに眉を寄せた。


「よく言うねぇ。どの口がそんなふざけた事ぬかしてんだよ」


 廓に女を買いに来る様な奴が純情だって? よく言うよまったく。


「純情な奴はね、女を買ったりしないよ」

「出会いを求めに来ただけさ」

「はっ。廓で出会いだって? 止めときな、ろくな女がいやしないよこんなとこ」


  廓は男が女を買う所。そして女が身体を売る所。いろんな男に買われた女がいる場所にまともな奴なんていやしない。いるのは世に絶望した奴か金に目が眩んだ奴しかいない。 中にはまともな奴もまぁたまにいたりするけど、そんな奴は結局精神やんだり自分で命を絶ったり……そんなんばかりだ。


「金で"出会う"遊ぶだけの女がほしいならおすすめするけどね」


 フンッと鼻で笑っていい終えると、男が呆れた顔で溜め息をついた。


「おめぇ若いくせに世を儚ぎすぎじゃねーのか」

「そりゃ四年もこんなとこいりゃ嘆きたくもな るわよ」

「四年?」

「あぁ、十二の時にここに来たんだ」

「十二? なんだお前十六か」

「そうさ。なんだい、ガキ相手にゃ起たないってのかい」


 男の腕に胸をあてながら言えば、フッと鼻で笑われる。


「別にそういう訳じゃねーが……。まぁ酒の相手くらいにならなるな」

「失礼な男だね! あたしゃこれでもこの廓じゃ二番目に売れてる女郎なんだよ!」


 そりゃあうちの廓は花街の中じゃ名の知れた店じゃないけどさ、でも質の良さじゃ自信はあるんだ。


「大体あんたさっきから酒ばかりあおってここは酒屋じゃないよ」

「ケチ臭い事言うんじゃねーよ」

「こーこーは、廓だよ。女郎屋だよ。女とヤる事以外何があるってんだい。それともあたしとじゃそんな気も起きないってのかい?」


 男の手から猪口を取り上げると、膳の上に放り投げる。

 フンッと背を向ければ、男は目をぱちくりと瞬かせた。


「何怒ってだお前」


 何を怒ってるかだって? こいつバカなんじゃないの?


「俺は今日は別に酒を飲み交わす相手が欲しかっただけなんだが……」

「はぁ? あんたこんな所に来なきゃ酒の相手もいないのかい」

「いや、いるにはいるがむさ苦しい男に酌をされるより綺麗どこに酌される方が数倍酒も旨くなる」


 徳利を手に持ち猪口に酒を注ぎあたしへと差し出した。


「その逆も然り。色男についでもらった酒は旨いぞ」


 顎をしゃくり呑めと促してくる。あたしは男の言葉に呆れの溜め息をつきつつその酌を受けとり一気にあおった。


「ほぅ……?」


 男が感心の溜め息をつく。


「結構いける口じゃねーか」

「色男がついだ酒なんだろ。残しちゃ勿体無いからね」


 からかう様に言えば、男の口が弧を描く。


「ありがたく頂戴しろ」

「まだ言うかこの阿呆男」


 その後は二人で酌をし合って、気付けば一刻をとうに過ぎていた。

「お客さん時間だよ!」


  襖越しに女将さんの声が響く。


「なんだい、もう時間かい」

「仕方ねぇ。じゃあ俺は帰るぜ」


 ゆっくりと立ち上がった男に次いであたしも腰をあげる。


「楽しかったぜ。えっと……」

「鈴だよ。すずとかいてりん。あんたは?」


 男のはだけた襟元を正してやりながら下から見上げとう。すると、男のゴツゴツした指先があたしの頬を撫でる。


「土方だ。土方歳三」


 優しく触れてくる指先と、綺麗に微笑まれた整った顔を見てあたしの心臓がとくりと高鳴る。


「楽しませてもらったぜ。また来る」


 男――土方の指先が名残惜しそうにあたしの頬から離れる。くるりとあたしに背を向けると、土方は女将さんに連れられ部屋を後にした。

 あたしは土方の触れた頬に手をあてると 「土方……歳三……」そうポツリと呟いた――。



 これがあたし――鈴と新撰組副長土方歳三との出逢いだった。 そのあとあたしはひょんな事から土方に身請けされ、新撰組隊士屯所へと身を寄せる事になる。 今回は、あたしが新撰組屯所に住んで初めての冬を迎えた時の話をする――。

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