徒花
私がてっちゃんと、コウが“千夏さん”と戻れば、すべてが元通り、というわけだ。

けど、でも、今あるこの感情までは消えてくれない。


私がコウと過ごした毎日を、なかったことになんてできるはずもない。



「ごめんね、てっちゃん」

「マリア……」

「私さぁ、別にてっちゃんのこと、嫌いなわけじゃないし、好きだよ。でもね、もうそれは恋愛感情とかじゃないんだ」


どうしたらいいのかなんて、今もわからない。

それでも、私は、てっちゃんと戻ったりはしない。



「だから、ごめん」


空になったグラスを返し、てっちゃんに背を向ける。


フロアの向こう側から、沙希がこちらを見ていることに気がついた。

けれど、沙希は私と目が合うと、肩をすくめて見せるだけ。




私は苦笑いだけを残し、そのままクラブを後にした。




マンションの下に、ボスがいた。

ボスは距離を取って私を注視する。


私はそのままの間合いで、しゃがみ込んだ。



「ねぇ、ボス。人ってさぁ、悲しすぎると逆に泣けないもんなんだね。こういうのって初めてだよ」

「………」

「どうして上手くいかないんだろうね。好きなだけなのにさ。コウと私じゃダメなのかなぁ」

「………」

「なーんて、ボスに言ったってわかんないか。猫だしね。人間のことになんて興味ないよね」


ボスはそうだと言わんばかりに、つんとそっぽを向く。

馬鹿馬鹿しくなって、私は再び立ち上がった。


もうすぐ5月を迎えるぬるい風が、ふわりと頬を撫でた。

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