深海魚の夢~もし、君が生きていたなら~
肌寒くなった十月、夕暮れのオレンジが私達の横顔を照らす。
東京の街がプラスチックで出来た水槽の中みたいに思えて、私は魚なのかもしれない、なんて思った。
海の底でじっと息を潜めて暮らす深海魚みたいに。
──"いた"だけどね。
脳内を反復するソラくんの台詞。
(…過去形、って事は…離ればなれになったか、もしくは)
そこまで考えて、思考を止める。
だいぶ寒くなったねー、なんて伸びをしながら何事もないように紡ぐ彼は、私が思うよりも大人なのかもしれない。
…ソラくんよりも子供なのは、きっと私のほうだ。
大人になるって、どういう事なのだろう。
そんな事を考えるのも忘れてしまうくらい、日々は慌ただしく過ぎ去ってしまう。
流されて追いやられて、最初は藻掻いているのにそのうちどうでも良くなって、諦めて、そのまま楽な方へ身を投げ出して。
「ハルさんの"そういうとこ"、俺好きだな」
「…ん?」
「難しい事考えてたっしょ」
この子は、鋭い。
曖昧に笑って微量の沈黙を返す。
非常に狡い方法だとは知っているけれど。
ソラくんとの会話で、救われている事が多々ある。
つまらない毎日と痛みを伴う恋愛の中で、死に掛けの魚が息を吹き返すような、そんな時間。
『ハルは、幼稚園児がクレヨンで描いた絵みたいな性格してる』──
カナタに、昔言われたこと。
今の自分は違ってしまったかもしれないけど、まだ笑えてる、って安心出来る場所だ。
──ありがとう。
可愛い弟が出来た事に感謝をしながら、小さく呟く。
本人にその声が届いたかどうかはわからない。
陽が沈み、街の外灯がぽつぽつと頬を染めるように明かりを点し始める。
景色は、近いようでとても遠い。
貰ったベビースターラーメンを摘まんで食べながら、私は昔の高校時代の自分を思い返していた。