仄甘い感情
6
尚嗣を伴って帰ると、啓太と百合はまた大はしゃぎだった。

「お姉ちゃん、尚嗣お兄ちゃん!おかえり!」
「おかえりなさぁい!お姉ちゃんも尚嗣お兄ちゃんも!」

こんなに暖かく【おかえり】と出迎えられるのはどれくらいぶりだろう?

「…ただいま」

そう答えたのはどれくらいぶりだろう?

「お姉ちゃん!僕と百合でカレー作ったんだ!」
「百合がニンジン切って型抜きしたの!」
「すごいじゃん、二人とも!」

大袈裟に二人を抱き締める絢女に二人は嬉しそうに抱きついた。

「味見して、味見!」
「上手に出来たか見なきゃね」

百合は絢女をキッチンに引っ張っていく。

「尚嗣お兄ちゃんも早く来て!ご飯にしよ?」
「二人が作ったなら是非ご馳走になるか」

尚嗣は啓太に引っ張られてリビングに落ち着く。出会って間もない一家の家が、今では居心地のよい自宅のようだ。
二年住んでいるマンションにですら感じない愛着がある。

テーブルには当たり前に四人分の食器が並び、食器の下には四色のマット。ピンクが百合、赤が絢女、緑が啓太で青が尚嗣だ。百合が尚嗣の色を青だと決めた。
家族の一員に認められたような擽ったさだが、それが酷く嬉しい。

「お待たせ~」

啓太と百合は絢女と尚嗣を先にテーブルに付かせて、給仕のようにカレーを運んできた。

「どうぞ召し上がれ♪」

百合に促されてスプーンを手に取る。ニンジンは花やハート、車に型抜きがされていて、尚嗣には初めての代物だ。
柔らかく微笑む絢女と示し合わせて、いただきますと言いながら口に運ぶ。

「…どぉ?」
「…美味しい?」

不安そうに尚嗣の様子を窺う二人。ゆっくり咀嚼して飲み込んでから口を開く。

「あぁ…旨い」
「「ホント!?」」
「俺が知ってるカレーの中で一番だ」

パッと花が咲くように二人の笑みが零れる。お世辞でも気遣いでも何でもなく、尚嗣は真実を告げただけだ。
カレーを口にした事は何度もあるが、それはいつもプロのものだ。
曲がりなりにも前島グループの後継者として、幼い頃から何不自由ない生活をしてきた。尚嗣もそれが当たり前だと思ってきた。
それを真の不自由だと感じたのは絢女に出会ってからの事。何不自由なかったはずのこれまでは、尚嗣にとっては暖かさに欠けた不自由だったのだ。

「ニンジンもジャガイモもちゃんと火が通ってる…実は芯が残ってるんじゃないかと疑ったぞ?でも…よく出来てるな、二人とも絢女によく似てる」

そう言ってやると二人は照れながらも、本当に嬉しそうに笑うのだ。あっと言う間に平らげて、勧められるがままにお代わりをした。
満腹感は尚嗣を幸せな気分にする。食事は義務的にするだけだったが、それも絢女に出会ってからその一端を担うようになった。
何もかも…絢女は尚嗣に与えてくれる。【心的】な余裕とその暖かさに勝るものがない事を、尚嗣はここで…身を以て知った――。

食事から暫くして啓太と風呂に入った。こんな事も初めてだ。

「尚嗣お兄ちゃんて、お姉ちゃんの彼氏?」
「…さあな?啓太はどう思う?」
「お姉ちゃんさ…お母さんが死んで、お父さんが病気してから、多分ずーっと彼氏いないんだ。いっつも僕と百合ばっかり」

啓太の沈んだ表情は、苦労する絢女を見てきた証だ。

「僕も百合も何にも出来ないから…お姉ちゃんばっかり大変で。だから尚嗣お兄ちゃんが来てくれるようになってから、すごく嬉しいんだ!お姉ちゃんも尚嗣お兄ちゃんがいると嬉しそう」
「…そう、思うか?」
「うん!だって何度もうちに来てくれるのは尚嗣お兄ちゃんだけだし、うちでご飯出してあげるのも尚嗣お兄ちゃんだけなんだよ?何回かお姉ちゃんの友達か彼氏かわかんないけど、来た事あるんだ。でもお茶くらいですぐ帰しちゃうし」

ペラペラとよく喋る啓太だったが、そこからもたらされる情報は、絢女に訊けない事なだけにかなり貴重だった。

「尚嗣お兄ちゃんは…お姉ちゃんの事、好き?」

【好き】と言う響きは、やけに幼稚に感じていて好ましい表現ではなかったが、今はそうは思えない。

「啓太、俺と啓太の男同士の約束…守れるか?」
「うん!約束する!」

小指を突き出す啓太に、尚嗣も応えて小指を絡ませた。
少し声を潜めるように、尚嗣は啓太にこっそり胸の内を話してやる。
啓太は驚きながらも尚嗣の言葉に泣きそうな顔をした。だがそれは悲しいものではなかった。

「うん…うん!」
「…巧く行けば、の話だがな」
「百合も喜ぶよ!お姉ちゃんだってお父さんだって、お母さんも絶対喜んでくれる!」
「だといいな」
「ありがと、尚嗣お兄ちゃん…お姉ちゃんを見つけてくれて…」
「…あぁ」

尚嗣は啓太の頭を撫でてやると、二人揃って風呂を出る事にした。
それから絢女と百合が風呂から上がると、尚嗣から簡単に明日の予定が話される。
そうして少し早めに就寝した――。

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