【完】「逢ひみての」
(仮)本編

思えば奇異な彼氏だな、と駒崎麻里菜が思ったのも無理はない。

というのも。

よく泣いてよく笑うまではまだよい。

振幅が極端なのである。

つい何日か前にも、

「麻里菜、俺もうあかんかも知れへんわぁ」

こう言って、わんわん派手に慟哭する。

そうかと思えば翌朝、

「我ながらよう思い付いたなあ…俺、ひょっとしたら天才かも知れへんで」

そんなことまで言ってのける。

このギャップが、麻里菜は不思議だが何とも魅力的に映ったのであった。



名前はダニエル・ストラウスという。

見た目は碧眼金髪、コテコテの外国人だが、二歳の時にスイスから上本町へ両親と移り住んだため、たどたどしい母国語のドイツ語と生粋の大阪弁しか話せない。

まず見た目と口調の落差で、衝撃的ですらある。

そこへ。

こんなエピソードがある。

上本町から少し天王寺の方へ下がったあたりに、上宮学園という学校がある。プロ野球の選手から歴史小説家まで出している名門で、スポーツに力を入れている学校でもある。

その上宮学園の中学から、野球のスカウトとしてダニエルを見に真田山の小学校に何度か職員が見に来たことがあった。

ところが。

ダニエルは野球どころかスポーツ全般がまるで不得手で、サッカーの授業中に蹴るつもりが空振りして靴を飛ばし、渡り廊下を歩いていた校長の禿げ散らかした頭に直撃した。

「何や、見かけ倒しやないか」

近所では「上本町の怪獣」というあだ名すらあったのに…といってスカウトすることなく去っていったという、コントじみた実体験もあった。

そんな彼氏である。



そもそも。

出逢ったのも少し変わっていて、同じアーティストのコンサートで前にアフロがいて、背の小さな麻里菜が見えなさそうに首を左右に振っていたら、隣にいたダニエルがいきなり肩車をして見えるようにした──という、新喜劇にもないような展開が、邂逅であった。

これがイケメンなら話は恋するにも理由は分かる。

が。

不細工ではないが、ダニエルは茶色の眼鏡をかけていて、騒ぐほどの美男子でもない。

「何であんな人を?!」

と、専門学校の頃の後輩に言われたこともある。

しかし。

麻里菜にはダニエルのことを少しでも悪し様に言われるとムキになる面があって、

「あんたがそうやって、とやかく言うような筋合の話やないよね?」

と反問し、黙らせたこともあった。



麻里菜のいる美容院は関西では割と知られたチェーンの店舗で、奈良の専門学校の頃の先輩から評判を聞いて入ったのだが、

「シャンプーの準備、お願いね」

とまだ、なかなかハサミを持たせてもらえない、いわば駆け出しのアシスタントである。

その日は営業がテナントの設備のメンテナンスだかの日で休業であったらしく、

「麻里菜、ちょっと大事な話があんねん」

とダニエルがいうので、ダニエルの職場の外国語学校が近い阪急線の四条で待ち合わせて、二人で染殿院の門前を寺町通へ折れ、喫茶店に入った。

二人はそれぞれ紅茶とコーヒーを注目すると、

「スイスに戻ることになったんやけどな」

「…どういうこと?」

「スイスには徴兵っちゅう制度があんねん」

深刻な内容であるにも関わらず、大阪弁がまざると緊張感に欠けてしまう。

麻里菜はスイスという国がどこにあるかは知っているが、徴兵制ということには不案内で、暗い気持ちになった。

が。

どうやらスイス国籍である限り、徴兵制はついて回るものであるらしかった。

「まぁ検査受けたり、訓練受けたりっちゅう話なだけやし、帰国したらまた逢えるやん」

そういうとダニエルは知らず知らず溢れていた麻里菜の涙を、笑って優しく拭いた。



ダニエルの帰国が迫っている。

「花火、行かん?」

そんな言い方で天神祭の花火を見に行こうと誘われたのである。

「帰国の支度とか、大丈夫なん?」

気遣わしげな麻里菜に、

「そんなん気にせんかったかて大丈夫やがな」

まるで子供をなだめるように、黒々とした麻里菜の長い髪を撫でてみせた。

このほんわりした暖かさに包まれているとき、麻里菜はとても穏やかな顔になった。



当日。

天神祭は静かに始まった。

銀(しろがね)橋の造幣局の近くの天満宮の年に一度の大祭で、平安時代から続く古色豊かな祭礼である。

朝。

鉾流の神事が終わると、神輿渡御が始まる。

一転ここから賑やかになる。

ジキジンジキジン、という投頭巾の囃子衆が鳴らすだんじり囃子に合わせ、何基もの神輿が出され、中には女の子だけで担ぐ神輿や子供が担ぐ愛らしい神輿もある。

日が、暮れた。

翌日は神輿が船に乗って、栴檀ノ木橋から千代崎橋の御旅所まで渡る船渡御である。

この日ばかりは大阪の町も祭の気分一色で、ちらほら浴衣姿の女子高生や、綿飴を頬張るカップルの姿も見受けられた。

「じゃーん!」

その日あらわれた麻里菜は藍染地に白の、揚羽蝶があしらわれた浴衣に真っ赤な菊水紋様の半幅帯を吉弥結びに締めた、それまでダニエルが見たことのない麻里菜の姿であった。

「やっぱり日本人の女の子は浴衣だよなぁ」

ダニエルは呟いた。

「ほな行こか」

「うん」

二人は手を繋いで天満橋の方へ繰り出した。

やがて。

橋を渡り切った北詰の河原の公園のひらけた辺りに出ると、夜空を明るく染める花火が、打ち上がり始めている。

「わぁ…」

麻里菜は空一杯に広がる菊や柳の花火を、こんなにも美しいと思ったことはなかったらしく、気づいたときにはダニエルの少しごつい手をずっと握っていた。

大阪に夏の到来を告げる花火である。



数日、経った。

無事にダニエルのスイスへの帰国を見送った麻里菜が京都に戻ると、

「駒崎、今日からシャンプー頼むで」

アシスタントとしてまずは客のシャンプーを任されるようになったのである。

客は、男であった。

「饗庭センセ、今日はシャンプー新人ですけどよろしおすか?」

「別に構わんで」

応えたのは西陣に事務所を構える、饗庭翔一郎という写真家であった。

「あ」

顔を見て麻里菜が驚いた。

「テレビで見たことある人や」

そのはずである。

西陣の饗庭、といえば京都では知る人ぞ知る著名人で、しかし麻里菜から見た饗庭センセは眼鏡が似合う気さくな兄ちゃんである。

「新人さんかぁ」

「はい」

「緊張しとるやろけどリラックスしーや」

「はい」

準備が済むと麻里菜は一声かけて椅子を倒した。

「かゆいところはありますか?」

「つむじの辺り」

あとは習った通りのシャンプーである。

泡を流した。

終わると、

「気持ち良かったで」

おぉきに、と饗庭センセは麻里菜のシャンプーを気に入ったようで、

「今度からシャンプーあの子にしてくれへんやろか」

と指名した。

麻里菜にとっては初めてのお客さんがついた、ということになる。
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