美しい月
弾かれたように美月を見つめるサイードは、至極丁寧に抱き寄せた。

『お前を愛しているから…全てを知っていたい。どうか…聞かせてくれないか?』

小さく頷くと、東屋に腰を落ち着けた。隣に座ったサイードは美月の肩を引き寄せて、手を握った。

『S&Jにヘッドハンティングされる前に勤めていた時の事です…』

話を進めるたびに、サイードの手に力が込められ、ついには奥歯を軋ませる音が聞こえて来た。

『だから…唯一も永遠も…都合のいい言葉にしか聞こえない。何にだって換えが利くように出来てるのが当たり前だから』
『ミツキ…俺を信じてみる事は出来ないか?』
『サイード、殿下…』
『ミツキを愛している。俺にはそれしかない。だからお前を納得させる根拠など見せる事は出来ないが、我が国の名に誓う』

一度立ち上がったサイードが、地に跪いた。

『っ、殿下!』
『我が祖国が存在する限り、また我が死した後も…永久にお前だけを愛すると誓う。我は希う…どうか…我が妻となってくれないか?』

苦しい程の胸の疼きはもう感じない。今あるのはサイードに応えたいと願う想いだけだ。真摯に見上げる目には強い意思が見えた。

『…はい』
『ミツキっ!』

勢いよく引き寄せられた先は、サイードの硬い胸。激しい鼓動と力強い抱擁が、喜びを体現していた。

『ミツキ!俺だけの美しい月!』
『っ、で、殿下!』

今度はひょいと抱き上げたかと思えば、幼い子供に高い高いをするように掲げたのだ。驚いてやめさせようとするも、サイードは聞かない。

『やっと…やっとだ!俺はもうお前にとって殿下ではない』
『…サイード』
『あぁ、ミツキ』

溶けそうな笑みを浮かべて、また腕の中に閉じ込める。

『ミツキ、両親も来ているのだろう?挨拶をさせてくれ』
『え?サイード、それはまだ…』
『決して早くはない。寧ろ遅すぎたくらいだ』

サイードは美月の手を引いて、舞踏会のフロアに戻った。

「姉ちゃん」

二人を見るや、陽輝は声を掛けた。幸か不幸かそこには両親も揃っていて。

「殿下と一緒にどしたんだよ」
「でんか?ちょっと陽輝…この外人さんどちらの方なの?」
「美月のお知り合いなのか?」

両親はコソコソと陽輝に尋ねる。

『失礼、こちらのミツキのご両親でいらっしゃいますか?』
「あら、英語出来る人なのね」
「お父さん、お母さん。あの…」
『えぇ。失礼ですが…あなたは?』

美月が答えようとするのだが、父はサイードに向いていた。

『私はサイード=シュラフ=ジーン=アル=シャーラムと申します』


丁寧に腰を折って挨拶する。
『実は先程、ミツキにプロポーズをさせて頂きました』
『え!?』
『彼女にはイエスと返事を頂けたので、ご両親にご挨拶をと』
『ミツキが…結婚!?』

母は大いに驚き、父は納得の行かない顔をしていた。勿論両親は、前の婚約者との件は承知だ。だからこそ案じている。

『お国はどちらかな』
『シャーラムと言うアラブの小国です』
『お仕事は?』
『観光ホテルなどのオーナーをしております』
『うちの美月は何人目の妻に?』
『後にも先にもミツキだけです』
「ねぇ陽輝、でんかって言ってたけど…」
「シャーラムの王位継承権第二位の王太子殿下なんだよ」
「まぁ!じゃあアラブの王子様ね!?」
『…王子殿下…王族の方か』
『継承権は第二位…兄が男児の父となれば、私が王位に就く事はありません』
『美月、お前は全てをわかって嫁ぐのか?』
『うん』
『…あの時のように苦しむお前は見たくない。本当にいいんだな?』
『はい、お父さん』
『ミツキに同じ轍は踏ませない』
『わかった…今度は幸せになって欲しい。私を花嫁の父にしてくれ』

微苦笑した父に美月が涙すると、サイードがそれを唇で掬う。様子を窺っていた本日の主役夫妻も、その輪に加わった。

「久流美、ありがと」
「嬉しいわ、美月。式には私も呼んでくれるんでしょ?」
「勿論」
「娘がアラブの王子様に嫁ぐなんて…すごいわ」
『サイード殿下、おめでとうございます』
『ミスターヴォルフ、主役を押し退けるような真似をしてすまない』
『構いませんよ、幸せをおすそ分けしたら実ったわけですから。クルミも喜んでいる…それで十分だ』
『姉ちゃんも幸せそうだし…義理の兄貴は王子様かぁ』
『義父上、ヨウキ…よろしくお願い致します』
『こちらこそ…美月をお願いする』

丁寧にそれに応えたサイードは、美月を部屋へ連れ戻った。

『ミツキ、近いうちにシャーラムに来てくれ。永住はいずれそうしてもらいたいが、今は…言わない。父に会ってもらいたい』
『シャーラムへ…』
『長期休暇をとったばかりで難しいだろうから、お前のタイミングで構わない』

サイードが美月の意思を尊重してくれる。

『俺はまたシャーラムに戻らねばならない…本当ならミスターヤマグチやミズミシマには、俺から話をしたいが…』

きちんと筋を通す意思を見せるサイードが、美月の胸を温かくさせる。

『…サイード』
『お前の憂いは全て潰しておかねばならん。お前が何の迷いもなく、俺の元に来られるように』

そっと腕に包まれて、サイードと美月の香りが混ざる。抱擁で熱されたそれは、官能を呼び寄せる。

『…やはり…温まると強く香るな』
『…ぁ』
『ミツキ…これからはこの香りが俺たちのものだ』

柔らかく触れてくる唇に物足りなさを覚えてしまう。

『明日は…ここを出てホテルに宿泊するぞ』
『え?』
『さすがにここで愛し合うのは気が引ける』

サイードが苦笑いしながら告げたそれに、美月は赤面を否めない。

『明日はたっぷり愛し合おう…また暫く会えなくなってしまうからな』

暫く名残惜しげに抱き締め合った二人だが、最後にキスを交わして、美月は部屋へ戻った――。


サイードは前夜の宣言通り、翌朝からインペリアルに移り、部屋から出る事なく過ごした。深く抱き合って、際限なく確認し合う。
その翌朝には美月は帰国せねばならない。時間を惜しみながら、二人は互いを刻んだ――。
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