美しい月
翌朝はライラが着替えを手伝いに来た。

「お綺麗な肌でいらっしゃいますね」
「そんな事ないわ」
「いいえ!お綺麗です」

力まれて苦笑いするしかない。用意された民族衣装はアイボリーの柔らかな素材。朝食を簡単に済ませ、頭布をしてベールを下ろす。サイードから贈られた香は控えめに胸元と膝裏に。
アズィールと合流すると、アズィールは「褒めたいが抜け駆けはやめておく」と微苦笑した。


王宮はシャーラムの中心地にあり、アズィールの宮殿よりも豪奢できらびやかだった。サイードはすでに到着しているようで、アズィールを待つのみらしい。

「待たせて申し訳ない。父上、サイード」
「アズィール、まさかそれは花嫁か?」
「花嫁ではありますね」

歩くアズィールの後ろを付いていく。視界の先にサイードが映ると、胸が高鳴る。正装のサイードは相変わらず凛々しく、目を奪われる。

「っ!?」

そのサイードが落ち着きなく立ち上がり、アズィールの後ろを歩いていた美月を引き寄せた。

「サイード!兄の花嫁に何を…」
「父上、花嫁は花嫁でも私の花嫁ではありませんよ」
『ミツキ…』

サイードが呼んだのは、先日妻にすると公表したばかりの名だ。

「サイード、抱擁よりも先に挨拶をさせてやらねば」
「父上、我が妻ミツキです」
「噂の日本人か…何故アズィールが連れておる」
「日本で私が社長を務めるS&J社の秘書で、現在は私付きの秘書でもあります」

促され、美月は慇懃に頭を下げる。

「国王陛下、お初にお目にかかります。ミツキ・クレハラと申します」
「ほぅ…話せるとは」
彼らの母国語で淀みなく告げられた言葉に、サイードもアズィールも驚きを隠せない。
「極東の地から花嫁が来るのは王家初の事…文化や慣習も違う。それでもサイードの求愛を受けるか?」
「もう幾度となく戸惑いました。今も不安は勿論ございます。住んでいた世界も全く違います。ですが…どう悩んでも想いは変わりませんでした。私はサイード殿下を信じます」
「…よかろう。よき日に婚儀をせよ」

すぐさま美月を抱き寄せたサイードだが、アズィールの手に阻まれた。

「お前の妃ではあるが、今は私の秘書だ」

不服を全身で表現するサイードに、集った者たちは穏やかに笑った。サイードのそんな姿も珍しい。

「では始めよ」

王の言葉で会合が始まった。暫く国内の情勢や対策などの話があり、それが終わると、S&J社の話がなされた。

「日本からはミツキとミズミシマの二人が秘書育成の為、勤める事となる。我が国では女性の社会進出がなく、圧倒的に遅れを取っている…日本もまだまだではあると言うが、これを機にしたい」

アズィールは以前から、女性の社会進出については考えを持っていた。それは初めての日本で、S&Jの社内環境を間近にした事で強まった。

「S&Jの秘書課は女性のみのだが、彼女たちは非常に優秀だ。他の社員にはない実務試験を幾度も受けて、漸く役職者の秘書になれる。のらりくらりと仕事をしているわけではない。下から優秀な人材が上がってこれば、すぐに下剋上が起きる。それに気遣いは女性ならではのものだからな」
「…確かに…兄上と日本は見てきたが、格式高いホテルスタッフなどにも女性従業員は多い」
「…ふむ…では逆に問う…ミツキ」

不意に名指されて、驚きながらも美月は返事をした。

「女が社会で働くに当たり、不都合な点は何だ。思う事、知る事を偽りなく全て答えよ」
「はい、陛下。どの国でも一番問題視されるのは、社会進出が叶っても男尊女卑の思考が消えない事です。就業するに当たり、職場では男性からの性的な嫌がらせや、上司からの言われなき圧力に晒される事もあります。採用に関しては、結婚や妊娠などでまず長く勤められる可能性が低い場合も少なくない為、採用の機会が少ない事も問題ですが、彼女たちの生活の為には必要な事です」

先進国でも未だ女性の社会進出は発展途上と言える。だが社会に出て働きたい女性は多いのだ。生活の為や生き甲斐…抱える理由は様々だが、決して彼女たちは無能ではない。寧ろ男性よりも優秀な面はいくらでもある。ただその機会に恵まれないだけで、一度その場に立てば、考えを変えさせられてしまうだろう。

「その気になれば、世の女性たちは男性よりも気持ちが強いものですよ」
「秘書の彼女たちは必要とあらば、上司に食って掛かる。侍従に近くはあるな。だがやはり女性…気配りは秀逸だ」
「特にミツキは未だ数社からヘッドハンティングされる逸材だからな」
「ミツキ、父上の執務に付いてみないか?」
「私がですか?そんな恐れ多い…」

すぐに否定してみるが、王はその気だ。

「うむ、見せてもらおうか…その手腕」
「ミツキ、お前なら心配はない」

サイードが手を握る。

「…では僭越ながら…出来る限りに務めさせて頂きます」
「楽しみにしておるぞ」

そうして会合は無事に終わった。アズィールに促され、王の侍従から簡単に話を聞く。午後からは侍従と共に王付きになる。侍従以外を付けるのは王も初めてらしく、侍従も落ち着かない様子でいるが、美月は何ら変わりなく見えた。
許しを得てスーツに着替えると、やはり身が締まる気がした。午後からは他国の使者が謁見を待っている。

「通訳は必要か?」
「お任せ下さい」
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