美しい月
サイードだから愛しい…美月の告白に、サイードは折れるしかなかった。
慣れない初めてのそれ。サイードは視覚と感触の強烈さに、良くも悪くも得も言われぬショックを受けた。あまつ堪え切れず美月の口腔に誤って放ってしまったものを、噎せながらも嚥下された事を知るや、サイードはまたあわや侍医を呼び付けようとまでした。
しかし美月自身は初めてだが、そう言う事もあるのだと知らされ、サイードは思いがけず、傷も負わずに自身の血を見る事となる――。


蜜月は予定通り五日で終わった――。

「美月!すっごく会いたかった~!」
「陽菜!」

サイードと美月の蜜月の間に、日本からは陽菜がアズィール付きとして呼び寄せられていた。すぐに美月に会いたいと願い出たが、誰もが婚儀までの蜜月には会わせられないと、陽菜をアズィールの王太子宮に半ば監禁されていたのだ。しっかり愚痴るが、秘書の仕事もしっかりこなす陽菜に、先駆けて見ていた美月の件を含め、シャーラムの国王や重臣らは日本人女性の素晴らしさを重々思い知らされていた。

「今夜は婚儀で、明日の午前からは式典なんだってね?」
「うん、さっき聞いたところ」
「美月が妃殿下かぁ…あんまり実感湧かないね」
「うちの家族も昨日の夕方、こっちに着いたみたいで、迎賓館にいるの」
「私は昨日の夜、会って一緒にご飯したよ。おじ様は感慨深いみたいで、よく飲んでたし」
「ありがと、陽菜」
「当たり前でしょ」

蜜月が明け、許可が出るや否や、すぐに月離宮に駆け付けた陽菜は美月を見るや、周囲への当て付けのように日本語で口を開いた。

「ここではアラビア語以外は遠慮願おうか、ミズミシマ」

黙って二人の日本語による会話を聞いていたサイードが、不機嫌全開にアラビア語でそこに水を差す。

「ごきげんよう、サイード殿下。同郷同士ですので、つい日本語が」

わざとらしい陽菜に、口の端をひくつかせたサイードだが、仕事でなければ天衣無縫を地で行く陽菜が、相手を気にしてものを言うはずがないのを、美月は理解していた。

「あ、美月。日本からお土産持って来たよ」
「え?何?」
「チェリーポール」
「ホント?」
「結婚祝いも兼ねて、大量にね。こっちにはまだ出店してないから重宝するでしょ」
「ありがと、陽菜」

アラビア語でやりとりはされているが、やはりわからない会話に、陽菜が確信犯である事をまざまざと理解したサイード。意趣返しに美月の腰を抱き寄せた。

「何だ、それは」

主に女性向けの下着を取り扱う海外ブランドだ。下着だけではなく、インナーやアウターから靴や鞄など、機能的で且つ価格帯もピンからキリまでと、セレクトしやすいのも手伝って、ショップ展開はまだ少ないが、日本では通販でお馴染みになっている。

「私も持ち物とか衣類はほとんどチェリーポールのものばかりよ」
「そうか…お前が日常的に使うならすぐこちらにも誘致する。ミツキが贔屓にしているなら、すぐにシャーラムの民にも浸透するだろう」
「は…?美月が使ってるってそんな理由で?」

美月より先に、陽菜が声を上げた。

「そんな理由?十分過ぎる誘致理由だろう?」
「…美月…何か、何だろう?もういろいろ大変そうね」

陽菜には鼻で笑うサイードに反論する気力が無駄だと思えた。

「カシム、すぐ働き掛けておけ。シャムディアの一角にまだ建設未定地があるはずだ」
「直ちに」

シャムディアは空港のあるシャーラムの首都に隣接し、一番のリゾート地。海外の有名ブランドの路面店や美月の従姉妹の久流美の夫の系列ホテルなどもある一等地だ。砂漠の国を感じさせない一角でもある。

「そんなに簡単に誘致決めていいんですか?」
「当たり前だ。そこは俺の土地だからな。何の問題もない」

サイードと陽菜の間には犬猿の仲の構図が完璧に出来上がってしまっている。

「はぁ……王子殿下って誰も彼もこんな非常識なの?」

また嫌味のように呆れた素振りで日本語を用いれば、サイードが何度も言わせるなと眼光で訴える。

「まぁ…美月が幸せならよし、かな?」
「ありがと」
「美月」

肩を竦めた陽菜は、不意に美月を呼んだ。

「展開早くて正直、まだついてけてない…びっくりしてる」
「…うん」
「でも…私も嬉しいよ。おめでとう、美月」

抱き締めてきた陽菜を、美月は同じだけの力で返す。サイードは目くじらを立てる事なく、同僚に祝福される美月を見守ってやった――。




サイードと美月の親族に陽菜、シャーラムの主立った重臣のみで執り行われる婚儀は、月が煌々と柔らかい光を放つ時刻から始まった。美月には民族衣装をウェディングドレスのようにアレンジされた、トレインの長いドレスが用意された。
婚儀自体もシャーラムの仕様とチャペルウェディングを混在させた、これまでにないものだ。美月は父と祭壇前まで歩く。そこでエスコートは、公式な式典時にしか着用しない、王子のクラウンを頭上にあしらった正装のサイードへ。
 祭壇前にはシャーラム国王がおり、二人はそこで手を取り合って婚姻を結ぶ事を宣誓する。

「我、サイード=シュラフ=ジーン=アル=シャーラムは我が名、我が国に誓う。これより生涯、そして我が名が死した後までも、ミツキ・クレハラのみを我が妻とし、永久に愛す」
「我、ミツキ・クレハラは誓う。これより生涯、そして我が名が死した後までも、サイード=シュラフ=ジーン=アル=シャーラムのみを我が夫とし、永久に愛す」

民族衣装を着た陽菜は、美月の家族に通訳して伝えた。母は感動からハンカチで目元を覆い、父や弟も喜びの涙を堪えていた。その眼前で指輪の交換が行われる。シャーラムの婚姻にはないものだ。美月が祭壇前に跪くと、国王からサイード妃の証となるサイードの御印のあるティアラが載せられた。

「我はシャーラム国王として、サイード=シュラフ=ジーン=アル=シャーラムとミツキ・クレハラの婚姻を認める。またミツキ・クレハラにサーディーヤの名を与え、ミツキ=クレハラ=サーディーヤ=シャーラムとし、我らが一族に属するものとする」

国王の宣誓の後、重臣らからは盛大な拍手が湧いた――。
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