美しい月
『行くぞ。朝食は昨日ミツキが気に入ったデザートだ。シャーラムではあれが一番オーソドックスな朝食だからな』

朝食はまたダイニングに用意されていた。パイスープにアラビックコーヒーやミルク、フレッシュフルーツのジュースやカットフルーツなどがテーブルに並んでいる。

『ミツキ様、おはようございます。何を飲まれますか?』
『おはようございます。では…ミルクを入れたコーヒーをお願いします』

そのやり取り以後、沈黙が気まずいような気がしていた美月だが、サイードはこれからの予定についての話を振ってくれた。

『これなら開館時間にはかなり余裕もあるな』
『今朝早くにバスオイルも届きましたので、入浴のご用意も出来ております』
『そうか…ミツキ、シャーラムのバスオイルは躯の不調を癒す。ゆっくり入るといい』
『お気遣いありがとうございます』

シャワーは浴びるつもりはあっても、湯に浸かるつもりはないが、とりあえず社交辞令的に返しておいた。

『ではミツキ様、お食事の後にご入浴を。侍女の手配を致し…』
『え!?い、いりません!日本では一人で入るのが当たり前ですからっ』

ところが日本人の美月の感覚と、彼らの感覚とでは社交辞令的発言も尺度が違う。カシムは入浴の世話係まで手配すると言うのだ。美月が慌てるのも無理はないが、珍しく声を荒げた美月に、サイードもカシムも驚いていた。

『日本人が慎ましいと言うのは本当なのですね』
『あぁ、勤勉である事もな。そこがまた美徳だ』
『ミツキ様はヤマトナデシコ、ですね』
『それは…違う気がします』

日本人女性を示す美称だが、美月自身には当て嵌まらない気がした。

『ミツキはヤマトナデシコだ』
『殿下…そもそもそれは古式床しい日本人女性を形容する言葉です』

気品や情緒があり、奥床しく、慎ましやかである事だ。男の後ろを三歩下がって付いて行くような、そんな女性であると告げた。

『ミツキそのものだ。日本の先人は実に素晴らしい言葉を残したな…品があり、奥床しく慎ましやか。秘書として勤める姿は正にそれに相違ない』
『私はそんな性格ではありません。仕事だからそうしているだけです』

サイードは手放しに美月を褒めるが、そうされる分だけ、美月は卑屈になる。

『…ならば普段のミツキを見せてくれ』
『え……?』
『俺の案内は仕事なのだろう?プライベートのミツキを知りたい』
『いえ…私は……』

目を伏せた美月には何かがある…サイードはそれを探ろうとしていた。

『滞在中にゆっくり見せてもらうとするか…本当のミツキを』

射るような視線に、無意識に躯を引いた。椅子の背を感じ、我に返る。サイードは危険だ…きっと美月を奥底まで貪り知れば、すぐに飽きて忘れるだろう。だがそうなった時…美月は確実に引き返せなくなっているはずだ。逃げるどころか、諦められずに醜く縋り付いてしまうかもしれない。

『…知ったところで時間の無駄です…人の時間は限りあるものですから、もっと有効に利用しませんか?やはり日本に来たなら、古都や四季を感じて頂きたいです』

またも話を掏り替えた美月は、穏やかにも見える笑みを浮かべてはいるが、その目だけは【それ以上踏み込むな】と、サイードに警告していた。

『…ならば明日はミツキに任せよう』
『案内係として、精一杯日本を満喫して頂けるよう努めます』

何とかその場を切り抜けたつもりの美月だが、その後暫く、昔の記憶に胸を痛める事になる――。
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