二重人格三重唱
 陽子は純子と居間でコーヒーを飲んでいた。

日曜日なのに、忍は出掛けていた。
新年度からの配置転換で、部長になる忍。
そのための送別会だった。

でもそれは名目で、ただ単に飲みたいだけだった。

忍も男だったのだ。

幾ら女房を愛していても、言い出せないこともあったのだ。
愛すればこそ、言い出せないこともあったのだ。


それは、翼のことだった。

忍は翼が心配でならなかったのだ。
でも言えない。
言えるはずもなかったのだ。

忍は翼に二面性を感じていたのだ。


「翼、どうしちゃったんだよ?」
遂に言葉がついて出た。


「え、何何? 東大が合格した甥子さんのこと?」
部下が声を掛けた。




 人の秘密は密の味。
一言でも話すとたちまち噂になるだろうと忍は思い、それで止めることにした。

それでも部下はしつこく聞いてきた。


「いや、何でもないよ。ただ合格したって言うのに受験勉強をやめないんだ」


「勉強がよっぽど好きなんですね」


「そうなんだ、昔から。俺と親父で勉強を教えてやっていたんだけど、何時もクラスで一番だったんだ」


「なあんだ、ただの自慢話ですか?」

忍はハッとした。
気付かれないようにと思って、予防線を張った行為の愚かさに……

そして安心したように又飲み出した。


「そうだよな。アイツ本当に勉強が好きだったんだ」


「羨ましい。そうだ、甥子さんの東大合格おめでとうございます」
一人が言い出した。


「おめでとうございまーす」
それは全体の言葉になっていた。


< 107 / 147 >

この作品をシェア

pagetop