徹底的にクールな男達

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　気にならなかったといえば嘘になる。

「…………」

　鈴木は熱いシャワーを頭からかぶりながら、深夜からこの夕方まで仕事で疲れきった心身を洗い流していた。

　麻見と暮らし始めて２カ月、送り迎えだ身体の躾だと世話を焼かされ面倒臭い存在であったが、一晩マンションにいないと知るとそれだけでいらぬことを想像してしまう自分がいた。

　そして今も、隙をみては今晩は帰って来るのかどうかと考えてしまう。

　考えが過ぎると疲れていても眠れないのはいつものことだが、こんな下らないことを思案しているようなら、事務所で仕事でもした方がマシか。

　そこまで決めて最後にシャワーの湯でうがいをして、もう一度肩から流し直そうとした時、ガチャリと玄関の扉が開きドンドンと廊下を歩く音が聞こえた。

　……帰って来た。

　途端にほっとし、胸が撫でおりていくのが自分でもよく分かる。肩の力が自然に抜け、顔の筋肉までもがほころんだ。

　鈴木はすぐにシャワーのハンドルを捻って湯を止めると、軽い足取りで開き戸を開けた。

「きゃあ！！」

　そこの、脱衣所にいる人の気配を全く感じられなかった自分にも責任はあるが。

　麻見は顔を背けるというよりは、とりあえずマジマジとこちらを見てから、

「すすす……すみません……」

と、やっと顔を逸らし、

「あの、タオルを取りに……」

そう説明すると、引き出しに手を伸ばして指先でタオルを掴むと逃げるように飛び出して行った。

　裸に見とれたわけはない。このアザや傷から目が離せなかったのだろう。

　鏡で自らを見ながら、麻見の裸を思い出す。明るいところでよく見たことはないが、手触りはとても良く、なめらかで、すべるようだった。

　こんな俺とは全く生まれも育ちも何もかも違う、普通の女だった。






「鈴木さん、お茶ついでくれます？　もうこっちできましたから」

　いらぬ予想をしていたのは自分だけで、昨日の麻見は報告通り、友達とでも遊んできたのだろう。まだ夕方の6時過ぎだがいつも通りに飯を作ってくれる。

　飯はいつも、温かくてうまい。

「今日は休みだからちょっと手を込めてみましたー。はい、焼きそばの具多めとしかもスープ！！」

　その名の通り、麺が見えないくらいに野菜と肉が入っている。しかも、スープ付きか。

「スープの味が、なあんか微妙だけど、焼きそばと食べれば美味しいから」

　風呂上りでティシャツにジャージの俺は指示通りヤカンのお茶を２つのコップに注いで、テーブルに並べた。

「ありがとう。はい、頂きマース」

　対面して腰かけた麻見は１人手を合わせると、号令と共に食べ始める。

「うんうん、……なんかやっぱスープが微妙だね。なんか微妙。味がなってない。お店だともっと美味しいのになあ……。ワカメかな。お店だとワカメ入ってるけどこれ入ってないからかな」

「…………」

　なんとも分からないので、何も言わずに食べ進めることにする。

「鈴木さん、昨日何してました？　ここで寝てたんですか？」

「……仕事だ」

「そっか……。私、鍋してたんですけどね、前のアパートで友達と、というか同僚と。その子がすごく鍋が上手で。鍋に限らず料理が上手なんですよね。私ももっとがんばらなきゃダメだなあって思わされたり」

「…………」

　何のコメントも思い浮かばないまま、皿は白くなる。

　最後のお茶を飲んだら少し仮眠をとって、今日は……一緒に寝るか……。

「……あの、鈴木さん」

　声のトーンが違っていたので、すぐに正面から顔をとらえる。

「聞いていいのかどうか分からないけど……」

　何のことか分からず、ただ少し俯いたその白い顔を見た。

「さっきちょっと……腕の辺りとか傷が見えて……痛くないですか？」

　何のことだと、ちらりと自らの右腕を見た。ティシャツ越しには見えないが、そこには昔刺された傷痕がある。

「…………」

「いやあの、見た感じ、そんな最近の傷じゃない感じはしたんですけど……」

「…………」

　俺は席を立った。

　何を返していいのか分からないというのはいつものことで、これも同様、コメントが思いつかなかっただけだ。

　傷を見られて痛そうと言われたことはない。

　だが、麻見なら言いそうな気はしたし、言われて何とも思わなかった。

　そのまま自室に入り、ベッドに横になる。仕事に欠かせない携帯を枕元で充電しながら自らの体力も充電しておく。

　布団に入った瞬間、自分の疲れ具合を知る。

　目を閉じるとすぐに意識が飛んだ。

　昨日の麻見の行動、今日の夜の流れ、それらの何も心配することなどなく。






「鈴木さん、入っていい？」

　何分くらい経っただろう。寝入って間がないのですぐに目が覚めた。

　ドアの外からのくぐもった声に

「あぁ………」

小さく答える。

　ガチャリとドアノブは捻られ、そっと扉が開き、

「あの……鈴木さん？　寝てます？」

　声が外には聞こえなかったようだ。

「いや……起きてる」

　麻見は扉の近くで隠れたまま、

「そこでちょっと……一緒に布団に入っていいですか？」

「…………」

　麻見はまだ頭(かしら)から指示された身体の教育のことを実行するために、ここへ来たのであろう。思えば、頭(かしら)から俺に人権が移ったことを麻見はまだ知らない。

　言えば離れる可能性もなくはない。それなら、まだ頭(かしら)の指示をダシにして、完全に心がこちらに繋がるまで黙っていた方が懸命か。

「い……いいですよね？」

　麻見はおずおずと確認しながらも、ベッドの脇に寄ってくる。

　俺は少し身体を端にずらしてから、掛け布団をはぐってやった。

「大丈夫、お風呂入ってますから」

そんなに時間が経過したのかと、携帯の時計を確認した。気付かないうちに２時間も経ってしまっている。

「鈴木さん、怒ってません？」

「……いや」

　何のことか分からず、正直に答えた。

「良かった、さっきなんかちょっと怒ったみたいだったから」

　そんなタイミングあっただろうかと、思い返してみる。

「傷のこと、すみません。無神経でした」

「いや……別に痛くはないし」

「触っても？」

「ああ、古傷だ。……もう10年くらい」

「えっ！？　10年！？　10年って……鈴木さんの年、私くらいでしたよね？」

「26」

「16の時ですか！？　……ええ！？……」

「…………」

　詳細を話しても引くし、分からないだろうと黙っていたら、傷のある右腕に温かな感触が当たった。

「…………」

　小さな掌が、その箇所の感触を確かめるように、温めるように触れている。

　何か言うかなと思って耳を澄ませていたが、声は聞こえなかった。

次いで、ゆっくり、何度もさすってくる。

　どういうつもりなのか、よく分からず、

「…………、何だ？」

「……痛かっただろうなあと思って。痛くて、辛かっただろうなあと思って」

「…………」

　そうだったかもしれない。痛かったかもしれない。

　だけど、その時は全く別の意識が強くて、傷のことなどどうも思っていなかった気がする。

「鈴木さん……」

　麻見は俺の名前を呼びながら、右腕に自らの頬を寄せた。

「いつも危険なことしているんですか？」　

　答えに迷う。

「私、葛西さんと知り合ってからずっと思ってるけど、やっぱりヤクザって怖いなと思います。特に南条さんは怖い」

「…………」

　どちらかというとヤクザには向いていない甘ちゃんの南条さんを、麻見が怖いと思っていたのが意外だった。

「私も、ここから出られないし」

「行きたい所があるなら、行けばいい」

　何よりも、麻見の自由を奪ってはいけないと、精一杯配慮して言った。

「でも……今更アパート戻って１人暮らしするのは嫌だし。でもここでずっといるのもどうかと思うし……。鈴木さんは？　ずっとここにいるんですか？」

「…………さあ……」

　頭(かしら)に言われた事を、半分くらい打ち明けてみようかどうか悩む。俺に譲られたという部分は伏せて、頭(かしら)の物ではなくなったことを伝えるべきか。

「私、葛西さんの愛人になるようにって言われてるけど、なんかちょっと違う気がするし。葛西さん、私がどうなろうが興味なさそうだし」

　やはり本人も気付いていたか。

「そう、私がここからいなくなっても、葛西さんどうとも思わない気がする。　いやでも、それなら鈴木さんがここで見張る意味ないか……」

「…………」

　麻見は話が一段落したのか、再び右腕をさすり始めた。

「鈴木さん……」

　そして、それだけでは物足りなくなったかのように、細い腕を俺の首に巻きつけて乗りかかって来る。

　俺は何も意識せず、ただ条件反射のようにその柔らかで温かな身体を抱きしめた。

「実は今日、好きでもない人とエッチして……」

　一瞬、腕が緩まる。

「流されて……。しかも、会社の人で。最悪……。好きって前から言われてたけど、なんかイマイチ信用できなくて。したくなかったんだけど、なんかいつの間にか……」

「…………」

「やっぱ一緒に寝たいのは鈴木さんだなって思った」

　だが、そんな雰囲気ではない。

　抱かれたい、と麻見が思っているわけではない。

　何故だかそれがきちんと伝わった。

麻見は笑って続ける。

「鈴木さんたまに怖いけど、そうじゃないって分かる」

「そうじゃないとは？」

「あ、鈴木さんが質問したのって初めて！！　そうじゃないとはって」

　何がおかしいのか麻見は俺の上で、明るい声を出して肩を揺らした。

「あ、えっとねえ。なんていうかあ、きっと私には怖いことしないだろうなってこと」

　そんなことする必要がないので、それは普通に考えれば分かることだ。

「鈴木さんのことは分かる。優しい人だってことは分かる」

　麻見は自信を持って、胸に顔をこすりつけてくる。

「…………」

　優しい人……。そんなこと、言われたことがない。

　そんなはずはないだろう。今まで……そう言われるようなことなど何もしてきていなかったはずだ。

　俺は少し怖くなって、麻見の身体をどけた。

「あ、ごめん。重い？　…………ふふふふ」

　なのに麻見はそんな俺に気付くことなどなく、今度は俺の腕に自らの腕を絡ませてくる。

「寝よう……眠くなってきた」

　当然のように、何の警戒心もなく、ただ俺を信じ切ってすり寄って来る。

　感じたことのない不安感から、その温もりを取り払いたかった。だけど……

「…………」

　柔らかな長い髪の毛に頬をくすぐられ、その勇気もなくなる。

　なんだろう、この温もりは。

　なんなんだろう、この、麻見という女の存在は。

　どうしてなんだろう。他人がこんな形で側にいるのに、警戒心を解いて意識を飛ばしてしまえるのは。