徹底的にクールな男達

俺の部下になれ

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 不幸なことは続くもので、武之内に見放された途端、鈴木とも縁が切れた。

 もともと、なかったような縁ではあったが、よりにもよって手作りバレンタインの材料を買いに行こうとしたその日、「引っ越す」とただ一言言って出て行った。

 年末から一緒に寝ることもなくなり、送り迎えもなくなったまま、なんとなく同じ屋根の下に寝泊りしていたが、もうその理由がなくなったからだろう。

 あまりにも淡々としていて理由も聞けなかったのは、すがりついてに鈍らないであろう鈴木の精神が見てとれたからかもしれない。

 お別れパーティだとか、引っ越し先だとか後からになって色々思うことはあったが、どちらにせよ、元の自分のアパートに戻って1人暮らしを始めるのなら、何をしても同じか、と溜息をついた。

 鈴木の代わりに、誰か友達と遊ぼうと思っても誰も友達がいない。

 食事に行く同僚はいても、友達がいない。

 ならせめて彼氏でもいればいいのに……。

 アパートの中、1人でいると、繋がる人が欲しくなる。

「今すぐ来て」

 そう誘ってもおそらく断らないであろう福原の名前は、スマホのアドレスの中にきちんと登録されている。

 だけど、こちらから呼んでしまったが最後、今度こそ責任をとらなければならない。

 今の所、よき同僚の範囲での良い間柄を保ち、仕事のカバーをし合えている。ちょうど良い関係を壊したくはない。

 だとしても、今更柳原になんだかんだと連絡する気にもなれず、総悟も仕事が忙しいと連絡もめっきりなくなった。

 せめて、仕事が楽しければいいのに。

 せめて、仕事がうまくできて、上司が優しければいいのに。

 今日も同じ溜息をついて、出社する。今日は本社から、営業第二部の部長が視察に来ているのでいつもより武之内がピリピリしているはずだ。

 ここの所、出社する日が武之内とかぶっていて、会社に行く度に顔を合わせている。

 できるだけ、挨拶以外しないように心がけているが、どうしても許可を得なければならないことがあると呼び止めなければならないので、非常に苦しい。業務の一環がこんなに苦しいなんて、武之内にただ一言話しかけることがこんなに苦痛なんて……。

 やめようか、と本気で考える。

 だけど、ここを辞めてまた一からどこかでやりなおすのも大変だし、ここでおそらく長くとも3年ほど我慢すれば武之内は異動するし。もしかしたら、早ければ1年くらいで異動するかもしれないし、とにかく、もうしばらくだけ我慢すればそれでいい。店長が代われば、店が変わる。

 そう、気を持ち直してレジの隅で合間を見て伝票の入力作業に取り掛かる。そういう仕事はレジではない他のカウンター担当が任されているが、合間があるのなら誰かがすればいいと未だに思い、明確に言えば、武之内の言いつけを破って作業をしていた。

 近くには高岡 永輝(たかおか えいき)部長がいる。

 総悟と同級生の高岡は、当時中学生の麻見と3人でコンビニアイスを食べ、ファミレスでパフェを食べた仲だ。同じ会社に入ったものの、焼き肉に同席する事はなかったが、それでも、

「総悟が泣いて電話かけてきた」

と、こちらではなく真っ直ぐ前を見たまま少し心配そうに小声で話し掛けてくる。

 やり手で優しく女子の人気が圧倒的に高い高岡は課長と2人で店内を隅々周り、どういう風に営業しやすくしていくかという内容の打ち合わせをずっとしていたが、それも終わったようだ。

「麻見クン」

「え?」

 依ちゃんと呼ばれる事に慣れていた麻見は、部長である高岡の問いかけに、有り得ないほど訝しい声で返事をした。

「さっきから伝票チェック?」

「あ、はい」

「ここの棚板、もう少し広い方が使いやすくない?」

「あっ、まあ……」

 年はまだ30になったばかりだが、落ち着いた性格だからかダンディーで、すらりと背も高い。ゴルフ好きにも関わらず肌はわりと白めで、
優しい目元が印象的な正真正銘、肩書にそぐわぬ高収入のデキる男であった。

 なんとなく、間を置いてから、無言の部長を見る。

 目が合い、ドキリとした。

「麻見クン…前に比べると痩せたか?」

 前に会ったのっていつだっけ……?

「そんな体重は変わってないけど……」

「仕事、しんどい? それともプライベート?」

 両肩をポンと硬い両手で叩かれて、まるでスイッチが入ったように身体が揺れた。

「休憩しな、休憩。疲れが顔に出てる」

 疲れ……確かに目の下に薄くだがクマもできていたし、顔色もあまりよくはないかもしれない。

 店の近くのアパートになって寝る時間が増え、色々自由がきくようになったはずなのに、帰っても仕事のことが頭に浮かび、1人溜息をつくことが多い。

「じゃあ順番来たんで、先に食事入ります」

「おう、きちんと休憩とらないと身体が言うこときかないよ」

 前……はまだ私マシだったのかな。

 それに比べると、最近は武之内が怖くて仕方ない。挨拶すら避けようと顔を合せないようにしているし、誰かと一緒に混ざって頭を下げる程度でいたり。

 けど、それは武之内も多分同じで。名前を呼ぶこともなければ、挨拶をすることもない。

 どうせ、腐ったリンゴだとでも思われているのだろう。

 早く辞めてほしいと、思っているんだろう……。

 そう考えている時に限って、廊下ですれ違ったりする。

 麻見は慌てて顔を下げて、小走りでスタッフルームへ急いだ。

 会釈をすることも、「お疲れ様」と挨拶をすることもなく。

 そういうのは武之内の中の『常識の範囲内で仕事をする』にはみ出していると思う。だけど今更、武之内の常識の範囲内で仕事をするなんて、武之内は望んでいないだろうし、どうでもいいと思われているに違いない。

 今日のお昼ご飯が家にあった菓子パンを掴んできたのと同じように、どうでも、なんでもいいと思われているに違いない。

「そのパンだけ?」

 同じタイミングで食事に入ったらしい高岡は、手作りらしき弁当を手に持ち、麻見が腰かけている長テーブルの正面に席を取った。

 他に食事に入っている者は端の方に男女5人。決して人が少ないわけではない。

「何? 手作り?……ですか?」

 一応縦社会に生きているので敬語を使っておく。

「ん?」 

 目が合って、すぐに逸らした。

「自作弁当だよ。昼飯見せるといつも彼女いるんですかって聞かれるの面倒だけど、最近はまってるから」

「へえ……」

「……依ちゃん……」

「え?」

 その呼び方、誰かに聞かれたくないんだけどな、と思いながら顔を上げた。

「レジは好きか?」

「え?」

 どういう質問だと、穏やかな目を見つめた。

「あそこで立ってて、面白みを感じてる? 仕事に対する」

「…………、…………」

 言いかけて、やめた。何を言いたいのか自分でも分からないし、部長が何を求めているのかも分からない。

「よし麻見、僕の部下になれ」

「…………、えっ!?」

 勢いよく顔を上げ、その澄んだ目を見つめた。

「多分僕には、プライベートの問題は解決できない。だけど仕事の事ならどうにかなるから」

「え………、え………」

 それってどういう…………。 

 冗談なのか本気なのか、プライベートって一体……とにかく色々頭に浮かんだ。

 顔を見つめる麻見のことなど高岡は全く気にせず、食事を続けながら、

「総悟、依ちゃんの事ずっと可愛がってただろ?」

「好きだって言われた」

「うん……その辺りはまあ、どうしようもないのかもしれない。本人も今色々ショック過ぎて動けないし」

「動けないって何?」

「まあ…仕事しかできないって事かな」

「それ、いつもと同じじゃん」

「まあ」

 高岡は俯いて苦笑する。

「で、さっきの……」

 そのまで言うと高岡は急に表情を変え、

「僕なら麻見を使いこなせる」

「……」

 その、自信満々の表情に思わず笑ってしまう。

「こら笑うな麻見、上司が部下をきちんと物にしてやるって言ってるんだよ」

 それを聞いた途端、胸にズンと突き刺さって涙が溢れた。

「あれっ? なんで、なんで? ちょっと人目が……でも強制じゃないからな。嫌ならここでいればいいし……」

「…………、行きたいです……」

 行きたいという返事は違う気がしたが、今はただ高岡について行きたかった。

「嬉し泣き?」

 怪訝な声が聞こえる。

「じ……自分でも……、…………」

 伝えたいことかあった。分かってほしいことがあった。だけれども、今は溢れる気持ちがありすぎて、涙ばかりが出て、言葉が出てこなかった。

「よし、食べた後店長室行こう」

 部長は早くも弁当を平らげ、出て行ってしまう。

 麻見はすぐに涙を拭いて、それに準ずるように、大口でパンを食べきりジュースで飲みこみ、歯を磨いて、店長室へ向かった。

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