それでも、課長が好きなんです!
 少しずつ下がる視線に街灯の光に照らされた自分の影が映る。
 すると一つだった影が二つになった。

「こんな時間に帰宅?」

 いきなり背後からかけられた声に驚いて振り返る。
 振り返ったらさらに……驚いた。
 驚きが声になり叫び出す寸前で、背後からまわった手に口元を抑えられた。

「騒ぐなよ。人に気付かれるだろ」

 低く囁くような声が耳元で響いて身体が硬直した。
 ジワジワと体温が上がり次第に小刻みに震え出すと、やがて口元が解放される。
 ぷはっと一気に息を吐きだすと、手を膝に置き荒い呼吸を繰り返した。
 だんだんと呼吸は整ってきたものの、今度は心臓の鼓動が次第に大きくなっていくのが分かった。
 
 ゆっくりと、背後を振り返る。
 メイクもウィッグもつけていない、当然女装もしていない。
 俳優の柏木佑輔が、目の前に立っていた。

「あ、あああああ……」

 わたしは有名人を目の前にして声にならない声を出して小刻みに震えていた。
 二度目と言っても、この前とは状況が全く違う。

「今の男、カレシ?」
「……え?」

 柏木佑輔は穂積さんが立ち去っていった方角をじっと見つめている。
 彼の視線の先に目を向けるともうすぐ見えなくなりそうなほどに小さくなった穂積さんの後ろ姿が映った。

「上司ですけど……職場の」
「……」
「あ、正確には元、上司で……」
「ふーん……」

 穂積さんが見えなくなってもじっとその方角を見つめたままの柏木佑輔の姿に少しの違和感を覚えた。

「もしかして……穂積さんの、お知り合い……ですか?」
「ホヅミさん?いや、全く」
「で、ですよねー……」

 柏木佑輔が視線をわたしへと移す。
 「ひっ」と呼吸を引きつらせガチガチに緊張するわたしを見て可笑しいのか小さく噴き出した。

「そっか、普通驚くよな。でも俺、キミと会うの二回目……」
「あの、女装美女が……あなただったなんて……」
「へ?何でもう知ってんだよ」

 テレビの中でしか見たことがない、一般人の自分からしてみれば雲の上の人物のような存在が……自分と会話をしている。
 こ、これは……今度こそ、夢!?
 
「ま、いいや。話しはあとで聞こう」
「……へ?」 

 急に伸びてきた手に強引に手首を取られる。
 手を引かれて向かう先は自分の自宅マンションの方角だ。

「あ、あの!?」
「なぁ千明、俺腹減ったー。また何か作ってよ」
「……え?……えぇ!?」

 強引に引かれ手に提げたコンビニの袋がガサガサと音を立て、中の弁当は傾いている。
 なになに……やだ、訳が分かんない。
 何が起こっているの!?

 あの柏木佑輔が……わたしに料理を作って欲しいって?

 急にそんなことを言われても、冷蔵庫の中に何も入っていない。
 だ、だいたい……こんなに遅い時間に料理する気になんてなれなくて。
 だから……

 強引に手を引かれるうちに、傾いた弁当はついに袋の中で垂直になってしまった。

 わたしのこの手に持つ、コンビニ弁当に気付いてよ!

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