それでも、課長が好きなんです!
 穂積さんの部屋に来るのは二度目だけれど、明かりのともった部屋を見るのははじめてだったから初めて来た場所みたい。
 だからと言ってあまりきょろきょろして見るのも行儀が悪いと思ったし、緊張もしていたからわたしの視界に映るのはほとんどが自分のつま先だった。
 座るよう促され腰かけたソファから見えるガラス張りのサイドボードの中には、グラスやボトルが綺麗にディスプレイされていて、重厚な大人の雰囲気に物怖じして再び俯いた。
 温かい飲み物を用意すると言ってくれたけど、水でいいと答えた。
 すると静かな部屋にエアコンが稼働する音が聞こえ、しばらくすると目の前のテーブルに水の入ったグラスが置かれた。
 部屋の中を移動する穂積さんの気配を感じるだけで緊張から心臓がドキドキと音を立てる。
 視線を上げた先に映るグラスに手を伸ばす。
 指先が震えているのが見てとれた。

「……あっ」

 震える指先はグラスをはじき、冷たい水が自分の膝から足首までを濡らした。
 こぼしちゃった、どうしよう!
 怒られる!?
 動揺し穂積さんの姿を探して腰かけたまま振り向くと、大きな影に覆われた。
 無言のままゆっくりとしゃがむと、手に持っているタオルをわたしの足に当てた。
 自分より低い位置の穂積さんの伏せた瞳がじっとわたしの濡れた膝を見つめる。
 泣きたくなるような堪らない気持ちに身体が熱くなって、きゅっと唇を噛みしめた。

「どうした、ぼーっとし……」
「どうして、言ってくれなかったんですか?」

 無意識にタオルを当てた手をそのまま包み込むように握りしめていた。
 わたしの行動と言葉に、穂積さんがゆっくりと視線を上げる。
 間近で見つめられれば逸らしてばかりだったけど、この時だけは逃げなかった。

「大事なヒトがいるなら、最初からそう言ってくれれば……」

 諦め方が分からなかった。
 でも知っていたら、今もまだ、この気持ちを引きずってなんかいなかった。

「知って……」

 何を知っているんだ。
 なぜ知っているんだ。
 両方とも取れる小さな呟きのあと、瞳を逸らししばらく沈黙した。
 しばらくして出た穂積さんの「アイツか」の言葉に、アイツというのが誰を指しているのかはすぐに分かった。

「少し、長くなるけどいいか」

 タオルをわたしの膝に置いたまま手だけ抜き取り立ち上がると、少し距離をあけてわたしの隣に座った。
 隣に腰かける穂積さんの方へと身体と視線を向けると、彼は部屋の一番奥の方の壁を見つめていた。

「瀬尾には……話したいと思っていた」

< 53 / 68 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop