それでも、課長が好きなんです!
 タクシーに乗車していたのは、ほんの数分だった。
 タクシーを降りたのその場所は、数日前に来たばかりの場所。

「ここって……」

 小さな呟きと共に、力なく脚が折れ、その場にしゃがみ込む。勘弁してよ。
 走り去るタクシーの音に、自分がこの場に取り残されたことを知る。
 穂積さんのマンションの前に取り残されて、ここからまた、一人で歩いて帰れって言うの?
 寒いし、お腹も空いた。もう、泣いちゃおうかな……。
 目頭が熱くなってきて鼻をすすった瞬間だった。
 ふわりと温かいものに包まれた。

「こんなとこに座って、風邪を引くぞ」

 聞き覚えのある声。
 いつも聞いていた声色と比べれば随分、優しいものだった。
 声の主を見上げ、その人物の顔を見て、驚きに尻餅をついてしまった。

「なにをしている」
「ほ、穂積さん……その顔」
 
 ついさっき会ったばかりの佑輔君と同じ場所に、同じくらいのダメージの痣がある。

「中で、話そう」
「……あの」
「大丈夫だ。怖い女(ひと)は、もうこない」

 膝をついて穂積さんを見上げると、彼もまた、柔らかで優しい笑みを見せた。

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