box of chocolates
「Au revoir」と挨拶をして店を後にした。真昼は暑くて脱いでいた上着を、羽織らないと肌寒い時間になっていた。
「そろそろ帰らなきゃ」
 貴大くんが寂しそうに呟いた。
「ねぇ、マカロン食べない?」
 少し足早に歩き、広場に出てベンチに座った。
「これ、お店の奥様手作りなんだよ! 食べよ」
「いただきます」
 貴大くんは、チョコレートのマカロンを手にとった。
「食べたら、帰る」
 ご夫婦も心配するだろうし、貴大くんだって、帰るまでに時間がかかるだろう。わがままばかりは言っていられない。
「おいしい」
 貴大くんと一緒に食べるマカロンは、最高に美味しかった。食べられなかったチョコレート味が、なんの抵抗もなく食べられて、幸せな味が口いっぱいに広がった。
「ごちそうさま」
 食べ終わると、寂しい気持ちで胸がいっぱいになった。言葉が出てこなかった。何かを話そうとすると、言葉より先に涙がこぼれおちそうになった。だから、無口になって俯いた。そんな私の手をとって、貴大くんがそっと指輪をはめた。 魚をモチーフにした指輪は、私の左手の薬指にはめられた。
「これは、婚約指輪」
 その言葉に驚いて顔をあげると、貴大くんは、真剣な表情を見せた。
「お父さんに認められるような結果を出して、必ず迎えに行きます。それまで待っていてくれますか?」
「……はい」
「ありがとう。じゃあ、自分にも、はめて?」
 私は、貴大くんの左手の薬指に約束の指輪をはめた。その手は、微かに震えていた。指輪をはめて目が合うと、どちらからともなく、唇を重ねていた。
「婚約しちゃった」
 こぼれおちそうになる涙をこらえ、笑顔で呟いた。
「それそろ、帰ろうか?」
 そう言う貴大くんの手をとって、私は歩き出した。そして、貴大くんが乗る地下鉄の駅へと向かった。
「今日は、ありがとう」
 貴大くんの手が私から離れた。
「しばらくは、離ればなれになるけれど。それはふたりの未来のためだから、ね?」
「うん」
「自分は一流の騎手を目指すから、杏ちゃんも一流のパティシエを目指して、ね?」
「うん」
「そばにいないからって浮気、するなよ」
「わかんないよ」
 私は、ニヤリと笑った。泣きそうになったから、わざと意地悪を言った。
「また、困らせるんだから」
「じゃあ、困らせついでに、ささやかなお願い」
「なに?」
「抱きしめて、キス……」
 私が、最後まで言う前に、ぐっと引き寄せられ、強く抱きしめられた。
「このまま連れて帰りたい」
「そんなこと……」
 言わないでよ。頑張ってこらえていた涙が、こぼれおちてしまうから。貴大くんは、優しく私の頭を撫でた。そっと離れてみつめ合うと、人目も気にせず、キスをした。
「愛してる。でも今は、さよなら」
 それだけ言うと、すっと私に背を向けた。
「私も! 貴大くんだけを愛しているから」
 貴大くんはそのまま、振り向くことなく、歩いていった。そして、地下鉄の人ごみに紛れて、姿が見えなくなった。私は、もう、泣かなかった。


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