冊子「銭湯のすゝめ」
観察のすゝめ
 物心がついた時から銭湯に行っていた。

 家にも風呂はある。

 風呂好きの父だったので普通より少しだけ大きめの風呂がある。

 それでも時間と小銭があれば銭湯へ行った。

 多くの友人も連れて行ったし、こちらの世界に入った友人もいる。

 時期によって入り方が変わっていった。

 サウナ狂時代が終わり、現在は二週ほど回って高温風呂がマイベストだ。

 銭湯は答えがない。

「銭湯なんて何処でも一緒」?

 全く違う。

 よく観察すれば全く違う。

 壁画、らんま、タイル、ガラス、歴史、篭、桶、イス、自販機、ゲーム、電灯、照明、蛇口、排水口。

 全てに個性がある。

「店構えだけだろ」?

 違う、じゃあSLに皆が乗るのは何故なんだ?

 一見普通の湯船だと入ったら、鯉が泳いでいる姿のタイルに思わず笑みが溢れる。
 
「お風呂なんて清潔になったらそれでも良い」?

 私は違う。

 銭湯にロマンを求め、癒しを求める。

 新世界を求め、ストレスを流す。

 湯気を吸い込み、小さな水風呂に入り広い浴場をうっとりして見る閉ざされた空間は正に極楽。

 お湯に浸かるのではなく、ノスタルジーに浸かるのだ。

 若者の銭湯離れ。

 銭湯の過疎化。

 家庭用風呂の普及。

 銭湯はどんどん追い込まれていく。

 行き付けの銭湯が二軒潰れた時の悲しさは異常だ。

 古い友人が消えた様に感じる。

 どうも最近温もりが僕たちの住む世界から失われつつある様に感じる。

 そんな僕達の世代にこそ銭湯の温もりが一時でも必要だと私は思うのだ。

 
           ~終わり~

 

   
< 15 / 16 >

この作品をシェア

pagetop