jack of all trades ~珍奇なS悪魔の住処~【完】
しばらくして、静寂な店内に、扉が開く音が響いた。
「千砂兎、すまない。蕾は・・・・・・?」
恐怖を遮られ、温かい体温に包まれたわたしは、徐々に平静さを取り戻していた。
「わたしの腕の中だ」
千砂兎さんは、さっきよりも抱き締める力を強めてきた。
すると、香さんは微妙なテンションで言い返した。
「なんだ、その勝ち誇ったような目は・・・・・・」
「そういう風に見えるなんて、哀れな奴だな。下剋上なら、いつでも歓迎だが、今はそれどころではない」
そう告げた千砂兎さんの言葉を無視して、香さんはわたしを引っ張った。
「きゃっ・・・・・・」
薔薇の香りから、キンモクセイの香りへとシフトされた。
「大丈夫か? 蕾。今日だけは、千砂兎がいてくれて助かったな」
嫌みを含んだ言い方だったが、香さんの言う通り、千砂兎さんがいてくれて救われたと再び感謝した。
1人でいたら、きっと、気が狂っていたに違いない。
人は、いずれ死ぬ。
それは、分かっている。
だけど、いざ目の前に晒されると、身動きが取れなくなる。
哀傷と恐怖に溺れ込む、それはわたしが弱いから。
愛する人に慈悲を送る、だけど、密かに自分にも送っている。
先に逝かれて、取り残されて、可哀そうな自分・・・・・・。
そして、泣き崩れる。
だけど、それだけでいいのか?
香さんだって、いつかはわたしより先にいなくなるかもしれない。
そのとき、わたしは強くなっていなければいけない。
結婚の最終地点は、見送りだ。
相手は、泣く顔だけが見たいのか?
わたしなら、笑って見送って欲しい。
愛していると囁いて欲しい。
わたしは香さんに言いたい。
後から、追い付くよ。
だから、待っていて。
そのときも、またあなたがいいと・・・・・・。

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