幸せになるために
「そう。じゃあ、啓太も何とかやれるかしら…」

「え?」

「あ、うちの息子ね。来年大学生なんだけど、第一志望は家から通うのはちょっとキツくて。無事に受かったとしたら、一人暮らしする事になるでしょ?」

「ああ、なるほど」


普段、良い意味で人との距離感を保っている佐藤さんにしては、やけにあれこれ突っ込んで聞いてくるなと思っていたのだ。

オレと来年からの息子さんの姿を重ね合わせて見ていたという事か。


「今は受験勉強真っ最中だから無理だけど、それが済んでから、徐々に色々と仕込んで行ってみるわ。どっちみち一人暮らしが始まって最初の数ヶ月は、私が休みの日に通う羽目になるだろうけどね」

「そうですね。オレでもできたんだから、きっと大丈夫ですよ」


しかもオレよりだいぶ若いんだから、適応性、順応性、柔軟性は桁違いにあるだろうし。


「あ、いけない。もうこんな時間。歯を磨いてこなくちゃ」


佐藤さんはふいに腕時計に視線を走らせ、独り言のように呟いた。

そして残りのコーヒーを一気に飲み干してから、ニッコリ笑顔で言葉を発する。


「午後からもお仕事、頑張りましょう!」


*****


ジリリリリンと、鼓膜を振るわす、独特の音が室内に鳴り響く。


「ん~」


まだ完全には覚醒していない頭でも、それがセットしておいた目覚まし時計の音であるというのは充分に認識できたので、オレは唸り声を上げながら、布団の隙間から右手を伸ばした。


「ん…。あれ…?」


しかし目測を誤ったのか、指先が時計を捕らえる事ができない。

観念して掛け布団をはね退けると、オレは上体を捻って対象物の位置を確認した。

記憶していた場所から数センチ奥にズレていて、しかも文字盤を上にして倒れ込んでいる。

のろのろと起き上がり、ハイハイの姿勢でその手のひらサイズの正方形の時計まで近付き手に取ると、天辺にあるボタンを押して音を止めた。

…寝ぼけて、夜中に倒してしまったのだろうか?

だけど、頑張って腕を伸ばしてギリギリ届く距離に置いてあったハズなのに。

昨夜は12時に布団に入り、寝っ転がりながらしばらく読書をして、そうこうするうちに猛烈な睡魔が襲って来たのでそれに抗う事なく、電気を消して眠りに就いた。

そして目覚まし時計が鳴る今の今までグッスリ寝入っていたのだから、途中トイレに起きてその際に足を引っ掛けて倒した、というのはあり得ない。
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