どこにでもある恋のはなし
マリア

悲しい恋をした。

叶わない恋だった。はじめから。



彼女は、彼女は、彼女は、
例えるならまるで菩薩のような
イエスのような、
そんな優しさに溢れていたから
困っている人を見たら助けずにはいられない、
彼女の温かい手をさしのべずにはいられない、
そんな人だった。



けれど彼女はとんだ偽善者だ。


手をさしのべた後、彼女はすっと身を引いてしまう。
彼女の温かい手を知っている僕は、
彼女にまた手をさしのべてほしくて
ほしくて、ほしくて、欲しくて。







そして、僕は知っていた。

そうまでして他人のために尽くしていながら、
彼女自身は孤独にうちひしがれていたことを。

彼女こそが、彼女が持つような
温かい手をさしのべてもらえることを
心待ちにしていたことを。


彼女が他人を助けるのは、
その瞬間だけが彼女の持つ孤独を
払拭することができていたからだ。


そして、彼女は病んでいく。
差しのべるだけの手が傷ついていく。

差しのべられることのない手への
憧れが強くなっていく。




僕は知っていた。




彼女は親類から見ても友人から見ても
できた人間とされていた。

他人を助けることのできる、
聖人君子のような人間だと。

そんな人間いやしないのに。





彼女の本当を知るのは僕だけなのだから
救うことができるのも僕だけだった。




知っていた。知っていた。知っていた。





でも、差しのべることは簡単じゃない。

相手が欲しがっているものがわかっていながら、
与えることのできない僕のような臆病者だっている。



そしてついに彼女は、
神様のもとへと身を捧げたのだ。

僕の愛した人は聖女になったのだ。









電車が迫る朝のホーム。
僕は偶然彼女を見つけた。



そして、僕は理解した。
このときばかりは臆病なその手を差し出したのだ。

彼女のように温かい訳でもなく、
柔らかい訳でもなく、
ただただ骨ばっただけの手を、
なんの価値もない僕の手をさしのべたのだ。









「「きゃーーーーーーーー」」







落ちる瞬間、彼女は微笑んでいた。僕に。


あぁまだ間に合ったのだ。
最期にはなってしまったけれど、
彼女が求めてやまなかった救いの
手を僕はさしのべることができたのだ。

なんて、なんて、なんて、嬉しい。
なんて、なんて、なんて、悲しい。


彼女が感じた温かさは
きっと一瞬であっただろう。
もっと早く差しのべる勇気を持てたなら。
彼女を笑顔にすることも
きっと難しくなかったはずなのに。






僕はその場に泣き崩れた。
はじめて、声をあげて泣いた。
悲しくて悲しくて悲しくて、
どうしようもなかった。

僕は、彼女を永遠に失ってしまった。


もうあの花の香りのする
優しい柔らかい手には触れられない。

風がそよぐとたゆたう長い髪も、
細い指先も、
微笑みも、
なにもかもが手に入らない。
視界にも入らない。


あああああ、彼女はもういない。





泣き崩れて嗚咽をこぼす僕に、
男たちがたくさん集まる。

腕をとられて後ろに回され
頭を押さえつけられて、地面に押し付けられる。



「現行犯、逮捕!!」







冷たくなるのが分かった。

手首がぞくっと冷たくなるのが分かった。
彼女が温めてくれた手、手、手。









僕はいま、とても冷たいところで暮らしている。

彼女を思い枯れない涙をこぼしながら、塀の中で叫ぶ。






マリア。







―――――――‐‐‐‐・・・



「――……本日おきた悲惨な事件をお伝えします。
東京都にすむ、17歳、 さんがホームから見知らぬ男に突き落とされ即死する事件がおきました。男は何も供述しておらず、黙秘を続けています。朝おきた事件と言うことで、登校途中の学生や通勤していた人たちから、突き飛ばしているのを見たとの証言がたくさん集まっており、男は裁判員制度で裁かれる模様です。泣きながらとの証言もあり男女関係のもつれという――――……」







end
< 1 / 5 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop