CROW
「じゃーん!」

 美春が、ポスター持参で兄の家にやってきても、もう彼は驚いたりしなかった。

 ピンク色のそれを、彼女がピラピラと義経の前でちらつかせる。

 彼を驚かせようと、必死のようだ。

 しかし、義経が不機嫌な顔のまま、妹とその分身を見ているため、首を傾げてもう一度ポスターを揺らした。

「おかしいなあ…お兄ちゃんの性格からすると、驚くと思ったのに……」

 私って、分からない?

 などと寝ぼけたことを言いながら、美春は自分のポスターを眺めた。

 一面のピンクの花。

 ど真ん中に据えられたアンティークな椅子に、背もたれを抱くように座る女。

 同じくピンク系のメイクで、白から赤までのグラデの服を着て、まるでモデルのようにこちらを覗き込んでいた。
 
 首をかしげたところにさえ、ピンクの影が落ちている。

 足元に大きな書体で『Mezzo-Soprano』、と入っていた。

 義経は、自分の膝をひとつ叩く。

「これ、やらかしたの…加奈だろう」

 美春は、一瞬びっくりした後、不満そうな顔になった。

 彼がぜんぜん驚かない上に、黒幕までバレているのがつまらなかったのだろう。

 分からいでか。

 義経は、頭をかいた。

 考えれば、すぐに分かる。

 妹の性格上、街でスカウトされたから、なんて理由でホイホイついていったりしない。

 もしそうでも、同じモデルの先輩である義経に相談するはずだった。

 ということは、彼女が少しでも知っている人間が絡んでいるわけで。

「お兄ちゃんがいない時に、加奈さんがきたのよ」

 唇を尖らせながら、美春はポスターをくるくる丸め始めた。

「二月半ばくらいだったかな? モデルやって欲しいって…たくさん服を持ってきて…私のイメージなんだって」

 最後の一言は、ちょっと自慢するみたいな口調だ。

「服はすごく気に入ったし、お兄ちゃんの知り合いだし、お金もよかったし、面白そうだったし…これだけ条件が揃ったら、私じゃなくてもやると思わない?」

 そう怒らないでよ。

 機嫌の意味を誤解している美春に、義経は無言だった。

「ヨ…シツネっ」

 無言の主人の代わりに、わずかに覚えた言葉を、得意げにしゃべる鳥がいて。

 彼は、それを忍耐とともに無視した。

「お兄ちゃん…ホントに驚いてないの?」

 最後に、念を押すように覗き込んでくる。

 まるで、あのポスターのような角度から。

「驚かないわきゃねぇだろ…街中で、心臓つぶしたぞ、オレは…」

 その丸いオデコを、手のひらで遠くに押しやりながら、不承不承彼は呟いた。

 それに、ようやく美春は、うれしそうになる。

「よかったぁ…加奈さんも喜ぶわ」

 妹の言葉に、義経はひっかかる。すぐさま、言葉の意味を聞いた。

「あら…だって、加奈さん、お兄ちゃんに目にもの見せてやるって…驚かそうと思って黙ってたのよ」

 このやろう。

 義経は、拳をかためた。

 いままでのお返しだとばかり、舌を出している加奈の顔が、容易に想像できる。

 いつも彼が、振り回したり脅かしたりしていいたため、彼女は反撃に出たのだ。

 しかし、怒りは最初の半歩だけ。

 その後、ふっと笑っている自分に気づく。

 便りのないのはよい便りとは、やはりよく言ったものだった。

 まんまと加奈は、スポンサーを見つけて、堂々宣戦布告したのだから。

 このポスターを見た洋子は、さぞ怒り狂っていることだろう。

 これで、自分まで引き抜きをかけるなんて話になったら――どうなることやら。

 そこらの苦労は、加奈とそのバックに任せるしかない。

 義経は、そんな先のことを考えるのをやめた。

 なぜなら、もっと近い未来のことが気にかかっているのだ。

「美春…加奈の居場所教えろ…仕事場でいい」

 この時の義経は、今日のお礼を、たっぷりしてやろうと思っていた。
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