Under The Darkness





「やめて! ちょっ! 本気のケンカすな!!」


 私は取っ組み合いを始めてしまった二人の間に割って入ろうとした。

 その腕をいきなり後ろから掴まれて、二人から引き離すようにして引っ張られる。

 止めに入らなければならないのにと、焦った私は慌てて振り返った。


「藤沢さんっ、危ないから行っちゃダメ!」


 私の手を掴んだのは、いつもメイクなどを担当してくれているスタイリストの女性だった。

 危ないからと、抵抗する私をずるずる引っ張りながら、一般車両が並ぶ駐車スペースの陰まで避難させられてしまう。


「アカン! 止めんと……! 京介君、めっちゃ強いんや! 悠宇が壊されてまう!」


 視線の先に見える二人は、周りの制止を振り切り、まだ取っ組み合いを続けていて。

 京介君の圧倒的な優勢に、私は彼女の腕を振り払おうと必死に藻掻く。

 なんとか引き剥がそうとするんだけれど、何故か彼女は腕をしっかりと掴んだまま離してはくれなくて。

 その顔が悲壮感に満たされていて、この時になって、私は何かが「おかしい」ことに気付いた。


「……ごめんね、藤沢さん……」


 私の腕を抱え込んだまま、ぽつりと呟かれるそのセリフ。私は眉を顰めた。


「え?」


 刹那、ピアスをそこら中につけた軽薄そうな男が、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら近付いてきて。

 危険を察知した私は、悲鳴を上げようと大きく息を吸い込み口を開ける。

 その時、白い布が視界を掠めた。

 あっという間に私の身体がそのチャラい男に拘束されてしまい、彼が手にした湿った布で、顔半分を押さえ付けるようにして覆われてしまって。アルコールに似た刺激臭が鼻を突き、目に沁みて。

 生理的な涙がみるみる盛り上がってくる。

 顔を背けようとしたらクラッと目眩がした。

 布を押し当てられたまま、私の力が急速に抜けてゆく。



 ――――私、今、もしかして誘拐されようとしてる?


 霞む頭で、今起こっている事態をそう判断した。


 心臓の鼓動が煩いほど耳に響く。


「ごめんなさい、本当にごめんなさい……言う通りにしないと、息子が……」


 掌で顔を覆い、むせび泣く彼女の姿と背後の男を、急速にぼやけ出す目で見比べる。


 ――――息子さん? まだ小学生の?


 一度撮影に連れてきたことがある彼女の息子の姿が脳裏を過ぎった。

 やんちゃざかりの可愛らしい男の子。

 まさか。


 ――――まさか、人質にとられてしまっている? 



 その想像に、背筋に氷を押し当てられたような怖気が走った。

 泣き崩れるスタイリストさんの背後に留めてあるワゴンから、別の男が出てくる。

 小太りで、草臥《くたび》れた感じの厭世観漂う壮年な男。

 車から降りてきたその男が、私の身体をワゴンの影に隠すようにしながら、車内へと引きずり込む。



 ――――やめて!


 抵抗しようと手を振り上げる。

 けれど、持ち上げようと力を入れた腕は、頼りなく震えるのみで。悔しさに奥歯を噛み締める力すらなくなってしまって。

 抵抗の力を無くした私を見て、男はニヤリと笑んだ。



「悪いな。馬淵のダンナ、黙らせるエサになってもらうよ」



 そう言う男の顔がどんどん霞んでいく。



 ―――京介君のアホが。私、いつの間にかアンタらの弱みになってんちゃうの。



 私の呟きは言葉にならず、視界はそのまま暗転してしまった。




< 267 / 312 >

この作品をシェア

pagetop