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「今日は巻き込んでごめんね」

応接室にやってきた貴一さんはしゅんとしぼんでいた。時計を見るともう4時で、あれから結構な時間が経っていた。高坂さんと話し込んでて全く気付かなかったけど。



「あたしは、大丈夫だよ。貴一さんこそ、お仕事終わったの?」

「……5分の1くらい」

「全然だね」


夏休み最終日の、宿題やってない子どもみたいで少し可愛い。思わず笑みが零れたけど、貴一さんは微かにしか笑い返してくれなかった。


「じゃ。あたし、もう帰りますね。これ以上ここに居ても皆さんのお邪魔になるだけだし」

「送ってくよ」

「駄目です。貴一さんはお仕事してて下さい」


貴一さんの言葉に私は首を横に振る。
すると、貴一さんはどこか名残惜しそうに私の肩をそっと抱き寄せた。





(……あたし、今日限りで貴一さんとの関係は終わりした方が良いのかな)

貴一さんに抱き締められながらそう思った。


貴一さんは親子ほど年の離れたおじさんで、社長さんで。ただの平凡な女子高生の私なんかが、この人の周りをうろちょろしてて良いわけがないから。




「あ。今日お家帰れるなら、あのシチュー食べちゃってください。チキンライスを卵でくるんでソース代わりにして……」

「うん」

「……でも、もし今日帰れなかったら、もう捨てちゃってください」

「もったいないよ」

「捨ててください。この時期だし、お腹壊しちゃうかもですから……」



少し強く言い返した。
無意識に貴一さんの服を握っていた。


捨てて欲しかった。
私のことも。全部全部。

もう会わない方が良いに決まってるのだから、私のこと思い出してまた気まぐれに呼び出したりなんてしないように。


次の約束なんて出来ないように。

どうか、

全部捨ててしまって欲しかった……。






「捨てたくない」

強い口調で、貴一さんはそう言った。

私は思わず顔を上げて貴一さんと視線を合わせる。貴一さんはにっと笑っていた。まるで私の考えてることなんてお見通しと言ってるみたいだった。



「ちゃんと食べるよ。捨てたくないし、奈々ちゃんのシチューまた食べたいです」


あと、名前書いたオムライスもね。
そう悪戯っぽく微笑まれる。




ああ、狡い。

せっかく固まりかけてた私の決心は、この微笑みひとつでいとも簡単に木っ端微塵になったわけで……。



駄目だと思ってても、

都合のいい方へ解釈してしまう。



「……じゃあ、今度行く時までに炊飯器買っておいてください」

「了解です」



ゆびきりの代わりに、

小さなキスをひとつ。




(きーちさんは、ほんとにずるい……)





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