ここに在らず。
すると母は目を丸くして私を見る…いや、もしかしたら私を通して以前の自分を見たのかもしれない。
「し、幸せなはずが無いわ!人は裏切るもの!自分の事しか考えて無いもの!男なんて皆そう!今だけよ!」
声を荒げて心の奥底を晒し始めた母は、そのぼんやりとした瞳で私を捉える。
彼女の瞳の表面に写るのは私。けれど、そんな母の言葉を聞いていると瞳の奥深くにある彼女の心の中には、明らかに違う人物が写っているように思えた。
…私と自分が、重なっているんだ。
訳が分からなくなってきているのであろう母の言葉に耳を貸す内に、私はそれに確信した。母は、必死に訴えかける。今だけよと。幸せなんて今だけ。ただの勘違いよと。それはまるで私への言葉では無く、かつてのそこへ進もうとする自分へと告げる警告のように私には聞こえて…
「ダメよ、ダメなの!幸せなんてそんなものーーっ、」
「すみませんが、もう行きます」
ーーそれは、残酷な程に無意味を感じさせるタイミング。
母の心の叫びが溢れ出したその瞬間、何の影響をも感じさせない冷静さでトウマさんはそれを制して、ぐっと私の手を引いたのだ。
「あぁ!待って!行っちゃダメよ!ダメなのよサエ!」
「でもお母さん、私は…」
「とりあえず3年。3年後、また伺いますから」
「…え?」
突如発せられた言葉に、ピタリと動きを止めたのは私と母。3年後?と、急なその言葉で思考が止まっている。
それを発言した本人であるトウマさんは、私と母の視線を集めて止まってしまったような時の中、そんな事を一切感じていないと言わんばかりに一歩一歩堂々とした足取りで母へと近づき、ゆっくりと同じ目線まで屈んで母の顔を覗き込んだ。
「3年後、ご挨拶に伺うつもりなので、それまではサエの母親としてお待ち頂けますか?」
そう尋ねるトウマさんは今までの冷静なトウマさんと変わりは無かった。冷たく感じる程に冷静。微糖だにしない態度。けれどーー最後にトウマさんは、違った表情を見せた。
「それが、あなたと俺とサエの、未来の約束です」
その言葉は、止まった空間にふわりと浮かび上がり、私達の前でピタリと静止する。
この言葉の意味は?
きっと私も母も固まったまま、その瞬間、それだけが頭の中にあっただろう。
「では、失礼します」
そう言って、トウマさんは私の手を引き部屋を出た。その時のトウマさんは穏やかに、いつもの私の前でみせてくれるあの笑顔を浮かべていて、母は…もう、何も言わなかった。きっと、言えなかった。
ーーガチャリと、扉の音がする。
でももう、怖くなかった。