オルゴールの鳴るおもちゃ箱
壊れたぬいぐるみ
大きなお城のような洋館。大きな扉を抜け、渦巻きのような螺旋階段をほんの少し登れば、長い長い廊下がそこにある。数々の絵画が並ぶ廊下を進むと、真っ黒な扉。その中からは小さな悲しい音色。少女の声。厚い扉の隙間を縫って、薄く掠れて廊下まで響いてくる。歌詞なんてない、単純なメロディのリフレインだ。それは、いつかベッドで聴いた母の子守唄のような唄。か細い声で途切れ途切れに伝わるメロディは、どの旋律を掬い取ろうとも物悲しい。
しばらく続きた旋律が、ふと、途切れる。
「だぁれ?そこにいるのはだぁれ?」
唄を奏でていた声が、意思をもって扉の向こうへと話しかける。服の掠れる音。椅子の軋む音。小さな足音。それからガチャリと大きな音がして、黒く厚い扉はそっと開いた。隙間から覗くのは、太陽のような金髪と、空のような大きな瞳。髪飾りから洋服まで、身に付けるもの全て紅い色で統一された幼い少女。扉から半身を出し、辺りをキョロキョロと見渡しながらもう一度声をかける。
「ねえ、だぁれ?わたしのうたをきいていたでしょう?」
少女はしばらく廊下を見つめ、そして扉から小走りで廊下へと飛び出した。少女のエナメルの紅い靴が、廊下の薄い絨毯の上を走っていく。やがて廊下の終わりに近づくと、螺旋階段の手摺りの隙間から玄関の大きな扉を見つめ、また一声。
「そこにいるのでしょう?はいってきてもおこらないわ。さあ、おいで。」
響くのは少女の声ばかり。それ以外には物音ひとつしない空間に、少女は首を傾げる。
「もしかして、うごけないの?」
少女はゆっくりと螺旋階段を降りはじめる。一段一段、短い足で踏み外すことのないように、少しずつ。やがて扉の前に立つと、ドアノブへと手を伸ばし、ゆっくりと引き開けた。
その扉の外にいたのは、目玉であるボタンが取れ、腕が解れて綿の飛び出した悲惨なクマのぬいぐるみ。首に巻かれた綺麗な紺色のリボンも、歪にゆがんでしまっていた。少女は驚いたように目を見開き口を覆うと、慌ててそのぬいぐるみの元へと座り込んだ。小さな手が、これ以上に壊さないようにとそっとぬいぐるみを抱き上げる。そして、壊れてしまったぬいぐるみの瞳と腕を撫で、優しく語りかけた。
「あなただったのね、いらっしゃい。もうだいじょうぶよ。ここはてんごく。」
ぬいぐるみの片方しかない瞳が、少女を映しながら鈍く光っている。やがて、その瞳から一雫のなみだが溢れた。
「かなしかったのね。つらかったのね。いたかったのね。だいじょうぶよ。だいじょうぶ。」
ここは、役目を果たして捨てられた人形やぬいぐるみたちの天国。その体に魂が宿るほど愛された物たちの、最期に逝きつく場合。
「あなたにあたらしいからだをあげるわ。ほら、そうぞうして、わたしがうたっているあいだに。」
そうして、少女は鈴のような声で再び唄いだす。悲しい旋律に包まれて、ぬいぐるみの瞳からはどんどんと涙が溢れる。やがて首元のリボンすら濡らす頃には、少女の唄は終わりへと向かっていた。緩やかに消えゆく旋律に、少女の周りの空気が名残惜しそうに震えた。気づけば、少女の手の中にぬいぐるみの姿はなく、代わりに、少女と同じ年頃の少年が少女の目の前に座り込んでいる。
「それが、あなたのあたらしいからだ?それはだぁれ?」
「………これは、ぼくの、もちぬしの、おとこのこ。」
数回口を動かしたあと、少年はたどたどしく口にする。ひとつひとつの音を確かめるように一生懸命に唇と舌を動かしていく。
「はじめてよ、そんなの。みんなこわれるまえのじぶんをそうぞうするの。」
でもいいわ。かわらないひびはたいくつだもの。おもしろいことがなくっちゃ。と少女は笑った。太陽色の髪によく似た、輝くほど眩しい笑顔だった。
「おうちにかえりましょう?ここじゃあすこしさむいわ。」
少女は少年の手を取ると、扉の中へと進んで行く。開け放したままだった扉を閉めれば、柔らかな風が2人の髪を揺らした。
「こっちよ、わたしのおへやまでいきましょう?」
少女が手を引く。だが、少年はそこから動くことはなかった。ただ、困惑したような、落ち込んでいるような、複雑な表情で自分の足元を見つめている。やがて、少年がゆっくりと口を開いた。
「ねえ、ぼくは、すてられてしまったの?こわれたから?」
「…ええ、そうね。」
少女が躊躇いがちにそう答えた。
「いらなく、なったから?」
「こわれてしまったものは、そうなるしかないわ。」
「ぼくはもう、もどれない?」
「ええ、ざんねんだけど。もうもどれないわ。」
少年の声は徐々に震えていく。少女の声もまた、それにつられるように少し震えた。
「おいしいこうちゃをいれてあげるわ。そうしたらわたしのべっどでたくさんのおはなしをしてよ。」
あなたのものがたりをきかせて?
握った少年の手にもう片方の手を添えて、優しく握りしめ瞳を覗き込む。少年は小さく頷きながら、少女が案内する部屋へと足を向けた。
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