ring ring ring
薬指の慰め
 わたしは、指輪をリビングのテーブルに置いて、部屋を出ることにした。靴を履いているとき、テレビから『それでは、また来週。さようなら〜』というバラエティ番組の司会者の陽気な声が聞こえた。
 さようなら、わたしたちに来週はないけれど。
 心の中で呟いて、玄関を出た。忠信さんは追ってきてくれなかった。
 夜道をひとり歩きながら、バッグからスマホを取り出す。アドレス帳を指で繰り、止まったのは由紀の名前だった。けれど、発信ボタンに指が触れる直前で思いとどまった。
 今朝から由紀は、ヒマさえあればパソコンとにらめっこしていて、その理由を尋ねたら、「旦那が週末にどこか連れてってくれるんだって」と瞳をキラキラさせて話してくれた。崩れかけていた夫婦の生活が立て直されたばかりで、そんな幸せ絶頂の彼女に、変な心配をかけてはいけない。
 アドレス帳には、たくさんの名前が登録されている。家族、友人、同僚、なんとなく登録した同級生。昔コンパで知り合って連絡先を交換したものの、一度も活用されないままで顔も忘れてしまった人のアドレスも。上から順番にスライドするうち、ふと、ある名前で指が止まった。一瞬ためらったけれど、発信ボタンをちょん、と触ると、画面が切り替わった。ガラケーなら、もう少し力を込めて押さないといけないのに、スマホは画面に軽く触れるだけで何でもできてしまう。人との繋がりも、それだけ軽くなったということだろうか。
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