アイスブルー(ヒカリのずっと前)
「はあい」
鈴音は冷蔵庫を閉め、玄関へ急ぐ。
引き戸を開けると、門の向こうに拓海がたっていた。
恥ずかしそうに、笑みを浮かべている。
「おはようございます」
拓海がぺこりと頭を下げる。
「おはよう」
鈴音は「はいって」と手招きした。
素直に拓海が入ってくる。
オレンジのキャップに、ストライプのシャツ、デニム、スニーカーという出で立ち。
拓海は帽子をとって、頭をくしゃくしゃとかいた。
「早く来すぎたんじゃないかと」
「大丈夫よ。どうぞ」
拓海は玄関で靴を脱いで、丁寧にそろえた。
そして、いつもの庭に面した部屋に入ると、隅の方に立ち尽くしている。
鈴音は扇風機の前に座布団を持ってくると、どうぞ、と手で示した。
拓海は素直にあぐらをかいた。
その格好が、なんだか不似合いで、鈴音の顔に笑みが浮かぶ。
鈴音は座卓を出し、拓海の前に出す。
「麦茶でいい?」
「はい」
拓海は出された麦茶をあっという間に飲み干す。
鈴音は麦茶をつぎたした。
「暑いですね。」
「クーラー入れようか?」
「いや、大丈夫です。うちもクーラー使いません」
そう言うと、拓海は肩からかけていた小さな鞄から、タオルを出して顔を拭いた。
鈴音は拓海の正面に座る。
顔を見ると、拓海は落ち着きなく下を向いた。
「もう一度聞くけれど、本当にバイト料はいらないの?」
「いりません」
「わたし、誰かを雇ったことなんかなくて、わからないんだけど……一応連絡先は聞いておいた方がいいのかな」
鈴音は身体をのばして壁際の古いタンスからメモ帳とペンを取り出した。
「名前と、連絡先を書いてもらえる?」
「はい」
拓海は素直にペンを取った。
小さくて、丸い、女の子みたいな文字。
「あの」
拓海が顔を上げた。
「僕も連絡先を聞いてもいいですか」
「ああ、そうね」
鈴音が紙をとろうと手を伸ばすと「大丈夫です」と鈴音の手を拓海が遮った。
ジーンズのポケットから携帯を取り出す。
鈴音は自分の名前と、ここの電話番号を口頭で伝えた。
「携帯は?」
上目遣いで拓海が問いかける。
「もってない」
「え?」
拓海がびっくりして目を見開いた。
「解約しちゃったの」
「そうですか……珍しいですね」
拓海が携帯をぱちんと閉じてポケットにしまい直した。
「それで……お給料を払わないから、強制力がなくて、好きなときに好きなように手伝ってくれればいいっていうか」
「はい」
「お友達と夏の旅行に行ったり、どこかに遊びに行ったり、予定は自由に入れてください」
「はい」
「今度はいつごろ来るかってだけ、なんとなく教えてもらえれば」
「はい」
「以上です」
「はい」
拓海が「それから?」というように小首をかしげる。
「以上です」
鈴音は再び言った。
「それで、何をしたらいいですか?」
拓海が言った。
「えっと……どうしようか」
鈴音は口をへの字にして、困った顔をした。
「?」
「カフェを開くって、本当にそうしたいって思ってるんだけど、なかなか重い腰があがらなかったっていうか。だから何から手をつけたらいいかわかんなくて」
と鈴音は自分で呆れてしまって「ははは」と笑った。
「そうですか。なんか僕、余計なことを言っちゃいましたか?手伝うなんて」
拓海が申し訳なさそうに肩をすくめた。
「ちがうのちがうの」
鈴音があわてて手を振った。
「拓海くんのお陰で、動き出そうっていう気になったんだから。いつかはやるんだから。いいのよ」
「はあ」
拓海がまたすまなそうに返事をした。