ナムストーンPART3

危機5

このころムシャラフは東部戦線司令部にいた。
右ポケットの小石は小刻みに震え続けている。
戦況が緊迫してくると振動と不気味な輝きは確実に増大した。

首相官邸と数分ごとに連絡はとっている。
シャリフ首相は開戦と同時にアメリカに連絡を入れた。
開戦時期はムシャラフ総参謀長に一任していたが
それは5月10日未明であった。

イスラム過激派を合流させカルギルを制圧したところで
停戦交渉に持ち込むという作戦であった。
ミサイルを配備し大量の正規軍を国境沿いに待機させて
おけばインド軍もおいそれとは手出しはできまい。

アメリカはインドに自制を促し国連でパキスタンの侵略
であると認めさせた。シャリフは条件次第でイスラム
過激派は撤退させるとアメリカとの交渉に入った。

交渉は難航し日増しに空爆とヒンディー過激派のテロが
激化していった。1ヶ月がたってやっと停戦合意に達した。
過激派同士の戦闘で1000名以上が戦死し、
ついに撤退命令が下った。

独立派にもパキスタン領への正式な撤退命令が下った。
独立派の指揮官ウサマは怒り心頭に達した。
裏切られたのだ。パキスタンにもアメリカにも。

アメリカとの交渉のためにカシミールは利用された。
アメリカはインドとパキスタン両国と取引をしたのだ。

ウサマは悩んだ。自爆すべきかとどまるべきか?
はたまたパキスタンのイスラム武装勢力と合流すべきか。

ムシャラフ総参謀長はウサマを将軍として正規軍に迎える
と約束していた。しかし数日後ウサマは10数名の腹心と
ともに行方をくらました。「イスラム戦士よ永遠なれ!
アメリカに死を!」という言葉を残して。
< 34 / 95 >

この作品をシェア

pagetop