そばにいたこと

現実

「春岡くん。」

急に君が真面目な声になった。
僕は、少し緊張して返事をする。

君がこういう声を出すときは、決していい話ではないと知っている。


「あの、ね。……言わなきゃいけないことがあるの。」

「うん。」

「明日、なの。」

「何が?」


そこで言葉を切って、君は潤んだ瞳で僕を見つめた。
僕は、君が何を言っているのか分からなかった。
それは、あまりに唐突過ぎたんだ。


「手術の日。」


それを聞いて、僕は呆然とした。

さっきまではしゃいでいた自分が、まるで馬鹿みたいに思えた。


考えてみれば、沙耶の状態は決してよくないわけで。
だから、入院したんだ。
彼女は、手術を受けるために入院した。

だから、そう遠くない未来に彼女は手術を受けると、漠然と考えていた。

でも、まだだと思っていたんだ。
心のどこかで、まだ先だと、信じていたかったのかもしれない。


「そうか。」


低い声は、まるで僕の声ではないかのように響いた。


「そんな顔しないでよ。」


君はまた無理をしているのか、手術を受ける本人だと言うのに、明るい顔をしていた。


「春岡くんが言ってくれなかったら、私、手術受けないで死ぬつもりだったんだよ。」


僕は、その時、ようやく気付いたんだ。
僕はどんな言葉でも言える。
沙耶を愛する気持ちに偽りはないと、断言できる。

でも、手術を受けるのは君だってこと。
明日、手術が成功しても。
君が目を開けた時、世界はもう――


「沙耶。沙耶。」


僕は狼狽して、何度も君の名を呼んだ。

君は、そんな僕を悲しそうに見つめていたね。

ただでさえ不安な君を、僕はさらに不安にさせてしまったことは、言うまでもないだろう。


「いいの、春岡くん。私が決めたの。大丈夫。」


「沙耶……。」


「大丈夫、春岡くん。」


ベッドの横に跪いた僕の髪に、君は触れた。
子どもをあやすみたいに、何度も何度も頭をポンポンとはたいた。

病人の君に、どうして僕が慰められて、なだめられているのか分からなかった。

でも、愚かな僕は、簡単に君の言葉を信じてしまったんだ。

私は大丈夫、と繰り返す君の言葉を。


どうして僕は、嘘でもいいから「大丈夫だよ」と言って彼女を抱きしめてやれなかったんだろう。

僕よりずっと、ずっと悲しい彼女のことを。


そうすれば、君はその後ももう少し、ほんの少しだけでも……僕を信じることができたかもしれないのに。
< 40 / 54 >

この作品をシェア

pagetop