【完】そろり、そろり、恋、そろり
「……瀧本さん」


口元を緩ませたままの池田が急にぼそりと呟いた。いきなり何わけの分からないことを言い出すんだろう。


「……何がだよ」


俺は冷たく言い放った。


「いや、さっきの店員さんの名前。あまりにもお前がじっと見つめてるから、名前見ておいてあげたよ」


……くそ、余計な事を。俺の考えというか、感情はこいつにはバレバレみたいだ。


俺もどうして、もう少し旨く隠せないんだろうな。


「俺もちゃんと見ておくんだった」


池田の言葉に何も返せないでいる俺に変わって、香坂は楽しそうに答えている。2人の顔を見ると、それはもう楽しそうに楽しそうに口角をあげて笑っている。こいつらがこんな顔をしているとき、物事が俺にとっていい方向に進んだ試しがない。


「……」



――ガタっ


何も答えないまま、食事にしようと2人を無視して席から立ち上がった。ここはビュッフェ形式の店だ。こいつらとじっと座って話していても、空腹を訴えているお腹が満たされる事は決してない。


背を向けて歩き始めた時、背後から「逃げた」という香坂の声とクスクスという池田の笑い声が聞こえたけれど、それも聞こえない振りをした。


……瀧本さんか。


からかおうとする2人にムカつきはしたものの、池田が名前をチェックしていてくれたのはファインプレーだと思う。何だかんだ言っても、いつも一緒に居るだけあって、俺の事をよく理解してくれている。


けれどお礼を言うのも何か違う気がして、気にしてない振りを貫き通すことにしよう。それに、お腹が空いてしまった。折角料理がおいしそうな所に来たんだ、食べなきゃな。


2人も諦めたのか、席を立ち料理を取りに行った。
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