苦恋症候群
「三木くん、ありがとう……」

「ッ、」

「ありが、とう……っ」



私のその言葉にも、彼はやはり眉を寄せたまま静かにかぶりを振った。

どうしたって私のお礼は受け入れてもらえないのか、三木くんは乱れた私の髪を手ぐしで梳きながら、固い表情で訊ねる。



「……警察、行きますか?」



その提案には、今度は私が首を横に振る番だ。

……思い出したくない。この話を、誰かにしたくない。

もう、あの男と関わりたくない。


彼の腕を掴む手に力を込めると、三木くんも心情を察してくれたのか、黙って私の頬を撫でた。



「擦り傷、できてる。……こわかったですよね。すみません、俺……」

「み、三木くんは、悪くない……!」



そこでようやくちゃんと、彼と目が合った。

自責に歪んだその瞳が、私をまっすぐ見下ろしている。

そして瞬間、どくんと心臓が大きく鳴って──私は唐突に、理解した。


……ああ、そっか。

そっか、そうだったんだ。

どうして、逸らされた視線に心が軋むのか。

どうして今、こんなにも胸が震えているのか。


その、理由は。



「会社、戻りますか? それとも、誰か呼んで……」



三木くんの言葉をさえぎるようにまた首を振り、白いワイシャツの胸もとを掴んだ。

そのままひたいを寄せると、彼が息を呑む。



「森下さ──」

「……で、いいから……」

「え?」

「嫌いで、いいから……っ避けない、で……っ」



言いながらまた、涙が溢れてきた。それでもその胸板に擦り寄ったまま、ぎゅっと目を閉じて動かない。

すると彼にすがる自分の手に、もっと大きな手が重なった。



「……わかりました」



え、と反射的に顔を上げる。

そんな私を見下ろす彼の表情は、やはり切ないほどに苦しげなものだった。
< 217 / 355 >

この作品をシェア

pagetop