【短編】遺り火
サナエは庭下駄を履くと、義父が丹精していたしだれ桜の木の下に小さな穴を掘り始めた。


義父宛の手紙に火をつけると思わぬ大きさで火があがる。


まるで生きているもののように、身もだえしながら手紙は燃えていく。


燃え上がる炎を見ながら、 サナエは夕べのシュンとの逢瀬を思い出していた。


家に招いた夫の部下のシュンから酒の勢いで告白されたのは一年前のことであった。


「一度だけ二人きりで会って下さい」


耳に囁きかけられた時に何故すぐに断らなかったのだろう。


心の奥に灯けられた火がそのまま身体に乗り移ったように、ゆらゆらと・・・気が付いたら頷いてしまっていたのだった。


一年がたった今も、シュンとは食事をするだけの関係で、それ以上のことは何もなかった。


それが、シュンにとってどれだけ残酷なことかは、解ってはいたが。


大学時代の友人に会いに行くというサナエの言葉を夫も義母も微塵も疑いはしていない。


不貞を働いたと言う気持ちにはならなかったが、やはり後ろめたさはどこかにある。


別れ際のシュンの「愛しています」という言葉が耳に残っている。

返事はしなかった。


夫婦といえども、互いの心のどれだけが見通せているというのだろうか?


知らなければそれで幸せに時がすすむこともあるのだとサナエは思う。


ときめきとは言えないかもしれないが、サナエは夫を愛している。


一緒に過ごした年月は「恋」を「情」という名に変えて、居心地の良さを与えてくれる。


私の居場所はここより他にないのだとサナエは思う。


「今度、会うときに、何て伝えよう・・・」


まだ、余火の残っている手紙に土を被せながら、サナエはシュンに伝える言葉を考えていた。


おわり
< 3 / 3 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

Ki・ro

総文字数/2,074

恋愛(その他)4ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
いわゆる不倫の関係になって三年。 彼との関係に明るい未来は見えない。 私は今、人生の岐路に立っている。
【詩】永久なる生命の

総文字数/1,665

詩・短歌・俳句・川柳3ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
大切な友人へ そして、その母へ捧ぐ
【短編】紅蓮=その愛のかたち

総文字数/5,445

恋愛(その他)8ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
彼女は、誰を愛しているのか? 彼か? それとも、自分か? 身勝手な愛が暴走をはじめる時・・・。 怖さ、たっぷり。 ちょっぴり、大人向け。 ビターテイストな物語です。

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop