春に想われ 秋を愛した夏
「野上さんは、香夏子のことを何でも解ってるんだね」
ニコニコと笑顔の春斗に頷きながら、いつまでも完食したどんぶりが目の前にあることが恥ずかしくて片付けようと立ち上がった。
途端にクラリと立ちくらみに襲われる。
あっ、と思ったときには、同じようにして立ち上がった春斗の腕の中にいた。
「ご、ごめん。春斗……」
抱きしめられていることに恥ずかしさと驚きで慌てて離れようとすると、春斗も動揺するように腕を解いた。
お互いに巧く顔が見られずに、なんとなく薄っすらと苦笑いのような笑みを浮かべてしまう。
なんていうか、ほんのりピンク色の空気が漂って、視線が無駄にさまよってしまった。
初心な学生でもあるまいし。
いい大人がこんなことくらいでと思うけれど、相手が春斗だと思うと、なんだか酷く照れくささを感じてしまう。
きっと、長い間友達としてしか見てこなかった相手だから、余計にそんな感情になってしまうのだろう。
「僕の役目も済んだし、そろそろ行くよ」
その空気に耐えられなくなったのか、春斗がこの場の雰囲気を変えるように言って帰り支度を始めた。
それを機に、私も気持ちを切り替える。
「わざわざ、ありがとね」
「どーいたしまして。あ、ちゃんとご飯食べなきゃ駄目だよ」
玄関へ向かいながら言われ、はーい。なんてわざとらしく右手をあげて見せると、講師の顔をした春斗がふざける。
「この生徒は、返事とは裏腹にあまり聞き分けがよくないからなぁ」
私のわざとらしさにそんな風に零したあと、つんとおでこを小突かれた。
それがなんだかくすぐったくて、笑みが漏れる。
「ちゃんと食べますよ。先生」
「よろしい」
冗談交じりの会話を交わしたあと、僕ももっと香夏子のことが知りたいな。とポツリ零して春斗は帰って行った。
その言葉に、もう充分理解してもらえてるよ。と私は春斗の気持ちに気づくこともなく笑みを返した。