二重螺旋の夏の夜
さようなら
「さようなら」

振り向いて、誰もいない部屋にそう言い残してから玄関のドアを開けた。

もう外は薄暗いのに、明かりをすべて消した真っ暗な部屋から出てくると少しまぶしさを感じるから不思議だ。

カーディガンのポケットから取り出した鍵を鍵穴に挿すと、付けていたキーホルダーがチリン、と音を立てた。

卵より一回り小さいくらいのくまのぬいぐるみ。首に小さな銀色の鈴が付いている。

あぁ、これもはずさなきゃ。

愛らしく笑うくまの顔を見てぼんやりとそう思いながら、金属部分をカチカチいわせて鍵と別々にしてやった。

これで本当に、さよならね。

ドアの郵便受けに鍵を入れて、わたしはボストンバッグを手に持った。

ガチャリ、という鍵が落ちた音が、ひどく耳に残った。



アパートの階段を1段ずつ下りていくうちに、じわじわと額に汗がにじんでくるのがわかった。

今夜も熱帯夜になると、確か天気予報で言っていた気がする。

腕に直接触れているシャツの袖が、まとわりつくようですでにうっとうしく感じる。

明日にするんだった。

最後の1段を降りたところでボストンバッグを地面に置きかけて、やめた。

いやいや、そうしたらいつまでたってもわたしは抜け出せないままだ。

「よいしょっと」

自分を勇気づけるように、わざと小さく声に出して荷物を持ち直した。

いまだに迷いがあるなんて。

あきれた。

漏れた笑い声は、自分でもわかるくらいに自嘲に溢れていた。
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