コーヒーを一杯


「とにかく。お上がりなさいな」

私は二人を促し、急いでそのままになっていた針仕事の道具やテーブルを片付け、お茶の準備をした。

台所で薬缶にお湯を沸かしながら、茶の間に敷かれた座布団の横に正座する男性を窺い見る。
娘は、その高橋という男に座布団に座ればいいのに、と笑いながら勧めるも、高橋という男は、かたくなにそうしようとはしなかった。

それなりの礼儀をわきまえているような高橋の姿を見ていると、なにやら胸の隅に落ち着かないものを感じた。
けれど、それがなんなのか。
小骨が引っかかっているように出てこない。

なんとも気持ちの悪い感情の中、薬缶がお湯の沸いた音を告げる。
小骨の引っ掛かりがなんなのか考えることを諦めて、私は来客用の緑茶を丁寧に淹れた。

「どうぞ。座布団をお使いください」

テーブルに緑茶を出しながら座布団を勧めると、ようやく高橋という男が座った。

「お母さん。私、彼と結婚をしたいの。いいよね?」

何の前置きもなく、娘は決まったことのように私へと報告する。
私はまだ驚きを拭えないままで、こんなにも突然の結婚話を理解できるはずもなかった。

「ちゃんと説明しなさい。急にこんなことになって、お父さんにだってなんて言えばいいものか」

私が困ったような顔を向けると、ようやく座布団に正座をした高橋が、私の顔を真っ直ぐに見て口を開いた。
説明を端折った娘の代わりに、高橋が細かく出会いから今に至るまでのことを私へ話して聞かせてくれたのだ。

そんな高橋の言葉は、とても流暢だった。
真面目に話していたかと思うと時々嫌味にならない程度の笑い話を織り込み、とても解り易く二人のことを話して聞かせてくれた。

けれど、そんな高橋の話しぶりを訊いている時に、私はやはりどこか小骨が引っかかるような気持ちになっていた。
それがなんなのか解らず、胸の中か落ち着かないのだけれど。
高橋の話はとても丁寧で、時々面白く、小骨の事など気がつけば忘れてしまうほどだった。

そう。
それは、まるで芝居や映画の俳優さんに夢中になっていくような雰囲気だったんだ。

「それではまたお義母さん。近いうちに」

しばらく話し込んだ後、玄関先で頭を下げた高橋は、私のことを親しげにそう呼び娘に送られ帰っていった。
高橋を送り戻ってきた娘は、見た目にもわかりやすいほど心や表情が踊っているのが解った。

「お母さん。どうだった?」
「どうって言われてもねぇ。今日、会ったばかりだしねぇ」

結婚といえば一生ものだ。
たった今会ったばかりの人物に、三〇年近くも大切に育ててきたたった一人の大切な娘を、はい、どうぞ。と簡単に嫁にやることなどできるはずもない。

「お父さんとも、ちゃんと話をしないとね」
「そうね。今度は、お父さんがいる時にするわ」

弾むような足取りの娘は、その日一日、鼻歌交じりに過ごしていた。
それとは正反対に、私は小骨の引っ掛かりがまた喉の奥に甦っていて、どうにも落ち着かない日々を過ごしていた。



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