砂漠の賢者 The Best BondS-3
第五章【闇は無情にも全てを喰らい小さく笑った】
1

 静寂が、横たわっていた。
 ゼルの額から溢れる汗が伝い、首から流れ出す血を薄めて衣服の襟ぐりを赤く染める。
 肩で呼吸を繰り返すゼルの目の前には、ただ呆然と立ち尽くし足元に落ちた刀を見つめるティンクトニアの姿があった。
 周囲に居る警備隊の男達も誰一人、身じろぎせずにその刀を見つめる。
 心音さえ大きく響きそうなその空間の中で最初に沈黙を破るのは、目の前の美女の乾いた笑い声。

「……は、ははっ……」

 手を額に当てて、ティンクトニアはしゃがみこんだ。
 こんな時にもティンクトニアは膝をつかない。
 それは、この街の治安を守る身の見事なまでのプロ意識。

「あは、あははははは!」

 この場に居る全員が気でもふれたのかと思ったことだろう。
 ゼルを除く、全員が。
 ティンクトニアは一頻(ヒトシキ)り笑った後、屈んだままの格好でゼルを見上げた。
 ゼルはだいぶ落ち着いた呼吸で剣を鞘に戻し、紫紺の瞳を見つめ返す。

「……化けたな」

 ティンクトニアが何か意図を込めて、にやりと笑った。

「…………は?」

 言葉の意味がわからず、ゼルは間抜けな声で聞き返した。

「たった一年半で……これが性別の差か……いや、違うな」

 一旦視線を逸らし独り言のように呟き自問自答をしていたかと思うと、再びこちらを見上げる。
 今度は悪戯っぽい光を宿して。

「誰かの為に、化けたのか」

「?」

 くすくすと笑いながら立ち上がったティンクトニアは制服のポケットから綺麗に折り畳まれた皺一つ無い真っ白なハンカチを取り出し、ゼルに差し出した。

「傷を押さえろ。見ていて痛い」
「……アンタらしいハンカチだな」

 受け取り、遠慮なく首の傷に押し当てる。
 押し当てたものの、血は洗っても染みが残るだろうな、などと考えたゼルの思考を含み笑いが遮る。

「返そうなどと考えるなよ。それから、新しいものも要らん」

 ゼルは口をへの字に曲げた。

「心ん中読んでんじゃねェよ」

「わかるのだから、仕方なかろう」

 剣を交えたからこそ生まれる奇妙な連帯感。
 千の言葉を伝えるよりも、たった一度でわかる剣での対話。

「愚図愚図している暇は無いのだろう。とっとと行け」

 行った行った、と手をひらひらと振る女にゼルは目を丸くした。
< 98 / 147 >

この作品をシェア

pagetop