砂漠の賢者 The Best BondS-3
 一歩も動かず、だが、先程迄と全く違う表情のゼルが。
 怒りか、焦りか。どちらでもない、また別のものなのか。
 ティンクトニア自身に向けられているのではない。
 だがそれでも如何とも形容し難い感情の波が肌に突き刺さる。

――……なんという剣気……!

 ティンクトニアは喉を上下させた。

「ティンク……そこを、退いてもらう」

 低く告げたゼルは体のバネを確かめるようにその場で軽く飛び跳ねた。
 絨毯の有無に関わらず、全くの音も振動もさせぬそれは、完璧に衝撃を相殺している為。
 そして、腕を体の後方に伸ばし低く屈み込む。
 剣を握る義手の手のひらが上に向いている。
 わかりやすい、上方からの攻撃予告。
 だがそれは同時にある一つの事実を伝える。

「なるほど、本気というわけか……」

 この一撃で決めるつもりだ。
 防御も次の手もない。
 たった一閃のみによる決着。

「時間が、ねェんだよ」
「……いいだろう」

 受けてたとう、とティンクトニアは刀を鞘に納め、足を開いて腰を落とした。
 鞘に手を添え、もう片方は柄に触れるか否かの距離に。
 居合い抜き。
 ティンクトニアが持つ技の中で最も速い剣技だ。
 サイレンの音だけが響き渡る。
 それ以外の音が消える。
 微かな呼吸音でさえも。
 ゼルが強く地を蹴り、ティンクトニアが柄を握り。
 ゼルが宙を舞った状態から剣を振り下ろし、ティンクトニアが鞘から刀身を覗かせ、ゼルの胴体を狙う。
 ぴたりとサイレンが止まる。
 無音の、世界。
 ――そして。
 勝負は無音のままに決した。
 ごとり。
 地面に落ちた刀の音が、この戦いの幕引きの合図だった。

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