きみと駆けるアイディールワールド―青剣の章、セーブポイントから―
「じゃ、優歌と一緒に、すぐ向かうから」
 朝綺先生がイヤフォンを外した。口を隠したまま固まったあたしに、朝綺先生は首をかしげた。
「優歌、どうかしたのか?」
「あ、あの……さっきの、着メロ……」
「ん? 『失恋ロジカル』って曲。最近のお気に入り。曲調も声もすげぇ好きで。あるゲームの特典でダウンロードできるんだ。歌ってる子がまた美少女でさ。おれ、彼女の唄は全曲コンプしてるんだぜ……って、おい、優歌っ?」
 朝綺先生が焦ったように叫んだ。あたしがフラッと倒れそうになったから。貧血じゃなくて、その真逆。頭に血が上って、顔がほてってクラクラしたせいだ。
 あたしは何とか踏みとどまった。
「そ、そのゲームって、ピアズ、ですよね?」
 アクションRPG『PEERS’ STORIES《ピアズ・ストーリーズ》』。通称、ピアズ。西暦二〇五九年の今、唯一公認されているオンラインゲームだ。
 三十年近く前、オンラインゲームが原因で大きな犯罪が起こった。その解決の手段として、ネットの世界が大幅に規制された。オンラインゲームは完全に粛清されて、西暦二〇五〇年、ようやくピアズが唯一、解禁された。
 離れた場所にいるユーザが同時にログインして、一つの物語を共有して、協力して戦う。ピアズは、そんな出会いのゲームだ。
「え? 優歌もピアズやってんのか?」
「は、はい。その……歌っているのは、ミユメ、ですよね?」
「ん、そうそう。人気急上昇中の歌姫で」
 唄《うた》は、半年前に実装された新システムだ。一つのステージに一曲が割り当てられていて、条件を満たしてステージをクリアすると、ダウンロードできる。オフラインで楽しめるコンテンツであると同時に、唄はバトルに役立つスキルでもある。
「ミユメはバトルも強いって話だろ? 会ってみたいもんだよなー」
「……会えますよ……」
「マジで? ミユメのこと知ってるのか?」
「知ってるというか、ええと……あたしの声、あの、気付きません?」
 あたしはささやいて、ギュッと目を閉じた。
 朝綺先生の凍り付いた気配。
 やっちゃったかもしれない。だって、朝綺先生にとって、ミユメはキラキラした存在のはずで、でも、目の前にいるあたしなんて、体が弱くてちっちゃくて、へなちょこで。
 いきなり、朝綺先生はおたけびを上げた。
「すっげえ! マジかーっ!」
「あ、あの……」
「マジでミユメなんだなっ?」
「……は、はい」
「うおぉぉぉ! 優歌、おまえ、すごいな! 作詞も作曲もアレンジも自分でやってんだろ? うわぁぁ、マジか! おれ、優歌のファンだよ! くっそ、飛び上がれねぇのが悔しい」
 あたしはポカンとした。
 朝綺先生がはしゃいでいる。大きな目に楽しそうな光をキラキラ躍らせて、見とれるくらいの満面の笑みだ。
 遠くから看護師長さんに叱られた。
「お二人さん? ちょっと声が大きいんじゃない? あなたたちが騒いだら、子どもたちまで騒ぎ出します。お静かにね」
 朝綺先生がペロッと舌を出した。あたしは思わず笑ってしまう。
「なあ、優歌。今、仲間《ピア》と一緒なのか?」
「いいえ。今は一人です」
「じゃあ、おれと組まねぇか?」
「朝綺先生と?」
「おれっていうか、おれたちっていうか。実は、手伝ってほしいことがあるんだ」
 朝綺先生は小さな咳払いをして、少しまじめな顔をした。
「お手伝いですか?」
「そう。ピアズの中でバイトしねぇか?」
「バイト?」
「おれの本業、プログラマなんだよ」
「はい、知っています」
 院内では有名な話だ。筋力ゼロだった朝綺先生は、驚異的なスピードで、手首から指先までの機能を回復した。なぜなら、朝綺先生は一刻も早くコンピュータを使えるようになりたかったから。
 朝綺先生の仕事は、ゲーム関係のプログラミングだ。ゲームをプレイするほうも大好きらしい。
「おれ、実はピアズの開発にも関わってて、今もいくつか案件を抱えてるんだ。そのうちの一つを優歌に手伝ってほしい」
「あたしにもできるお仕事なんですか?」
「うん。やってくれる?」
 黒い目に見つめられて。断れるはずなんてないから。
「お役に立てるなら、ぜひ」
 朝綺先生の顔に、パッと笑みが咲いた。
「サンキュ! じゃあ、優歌のピアズのアドレス、教えてくれ。後でサイドワールドのメッセに招待状送っとく。それで、今夜八時、招待状からログインして」
「わ、わかりました」
「楽しみだな、今夜」
「は、はい……!」
 憧れの人との冒険の約束だなんて。とんでもなく幸せで、ワクワクする。
「じゃあ、転校生のとこ、行くぞ」
「あ。そうでしたね」
 あたしは、うっかり忘れていた現実に連れ戻された。
< 10 / 102 >

この作品をシェア

pagetop